ヘルマン・エビングハウス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 15:59 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ヘルマン・エビングハウス Hermann Ebbinghaus | |
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生誕 |
1850年1月24日 プロイセン王国ライン州バルメン |
死没 |
1909年2月26日 (59歳) ハレ (ザーレ) |
国籍 | ドイツ |
研究分野 | 心理学 |
研究機関 |
ベルリン大学 ブレスラウ大学 ハレ大学 |
出身校 | ボン大学 |
主な業績 |
忘却曲線 エビングハウス錯視 『記憶について』 |
影響を 受けた人物 | グスタフ・フェヒナー |
影響を 与えた人物 |
レフ・ヴィゴツキー シャーロッテ・ビューラー ルイス・ターマン ウィリアム・スターン |
プロジェクト:人物伝 |
生涯
エビングハウスは1850 年、プロイセン王国のライン州バルメンで、裕福な商人の子として生まれた。幼少期は、ルター派を信仰して町のギムナジウムの生徒だった、くらいしか分かっていない。17歳の時(1867年)にボン大学に入学、ここで歴史や文学を学ぶつもりだったが、彼は哲学に興味を持った。1870年の普仏戦争で研究が一時中断するも、1873年に哲学の論文を書き上げて、23歳で博士号を取得した。続く3年間はハレ (ザーレ)とベルリンで生活していた[1]。
哲学博士の取得後、エビングハウスは英仏で学生の家庭教師をして生計を立てていた。ロンドンの古書店でグスタフ・フェヒナーの著書『精神物理学要綱(Elemente der Psychophysik)[2]』と出会い、これに感化されて彼は有名な記憶実験を行うこととなる。ベルリン大学で研究を始めた彼は、ドイツで3番目の心理実験研究所(ヴィルヘルム・ヴントとゲオルク・エリアス・ミュラーに続く)を設立し[3]、1879年から自身の記憶研究を始めた。1885年、彼の記念碑的な書籍『Über das Gedächtnis. Untersuchungen zur experimentellen Psychologie』が出版された。これは後に英語版を経て、日本でも『記憶について : 実験心理学への貢献』が出版されている[4]。この出版物の功績は非常に大きく、彼はベルリン大学の教授に就任した。
1894年、恐らくは論文不足のために哲学部長への昇進が見送られたエビングハウスはブレスラウ大学(現在のポーランド、ヴロツワフ大学)に移籍[3]。ブレスラウにいる間、彼は子供たちの精神能力が学校の日にどのように低下したのかを研究する委員会に従事した。どのように精神能力を計測したかの詳細は見つかっていないが、当委員会で成功をなしとげた成果が、後に知能指数検査の基礎となった[5]。彼はブレスラウにも心理実験研究所を設立した。
1902年、エビングハウスは次の書籍『Die Grundzüge der Psychologie(心理学の原則)』を出版した。それはすぐに高い評価を受け、死後もずっと好評が続いた。1904年、彼はハレに引っ越して、人生の晩年となる数年間をここで過ごした。1908年、最後の出版物『Abriss der Psychologie(心理学の概要)』が世に出た。これもまた高評価が続いて、8版の増刷がされるまでになった[5]。この刊行からしばらく後の1909年2月26日、エビングハウスは肺炎により59歳で死去した。
自分の記憶の研究
エビングハウスは、当時の常識では無理と思われていたが、実験によってより高次な精神的過程が実際に研究できることを明快に示した。
記憶実験において、最も混乱をきたす潜在的な斑(むら)を抑えるためには、記憶するのは容易でありつつも、事前に学習認知されない言語リストを用いた復唱が必要となる。そこでエビングハウスは、後に「ナンセンス音節(CVCトリグラムとも)」と呼ばれるアイテムを使った。ナンセンス音節は、子音-母音-子音という組み合わせで、子音の繰り返しはなく、音節自体に別段の意味もない。意味を持つCAT(すでに単語)やBOL(ボールと聞こえる)などは除外された[注釈 1]。意味のある音節を削除したのち、エビングハウスは2300個の音節に行き着いた[6]。ひと通り音節集を作成したところで、彼は箱からランダムに音節をいくつか取り出して、それらをノートに書き留めた。その後、メトロノームの規則的な音に合わせて、同じ抑揚でそれら音節を読み上げて、手順の最後に彼はそれらの音節を(記憶から)想起しようとした。1回の調査にのべ15000回の朗読が必要だった。
研究の後、人間はナンセンス音節にさえも有意義な意味をつけることが決定的となった。ナンセンス音節PED(これは"pedal"の頭文字3文字になる)は、KOJのような音節よりも無意味ではない。 音節同士では連想価が異なると言われている[7]。これを認識したエビングハウスは、特定の意味を持つ可能性が低く、より容易な検索のための関連付けも試みられづらいような、音節の列を「ナンセンス」とだけ言及するようになる[6]。
彼の記憶研究にはいくつかの限界があった。最も重要なのは、エビングハウス自身が研究の唯一の主題だったことである。これは他の人々にとって研究の一般化可能性を制限した。彼はより厳格に結果を維持管理するため自身の日々のルーチンをも統制しようとしたが、自分以外の参加者を排除するという彼の決定は、内部の妥当性が確かだとしても、研究の外部妥当性を犠牲にしてしまった。付け加えるなら、彼が自らの個人的影響を説明しようとしても、誰であれ研究者が参加者を同時に兼ねている場合は、そこに固有の偏見が内在してしまう。また、エビングハウスの記憶研究は、意味論や手続き記憶や簡易記憶術といった、より複雑な記憶の問題研究には立ち入らなかった。
- ^ 一方で、DAX,BOK,YATなどの音節は許容されていたとの記述もある。とはいえエビングハウス本人は例を一切残していない(どちらも英語版en:Hermann Ebbinghaus#Research on memoryより)ため、真偽のほどは不明。
- ^ 動因(drive)とは、行動を生起させる生理的要求のことで、生きるための食物・水・睡眠の要求や、生命危害の除去に関する要求、種の保存に関する性の要求など。また、探索exploration、好奇curiosity、活動activityなどの本能的衝動も含まれる[10]。
- ^ カントによると、人間の認識は必ず感性と悟性によって媒介されており、感性には純粋直観である空間と時間が、悟性には因果性など12種の純粋悟性概念が含まれる。こうした純粋直観や純粋悟性に関する(または、それらに従った)記述のこと。詳細については、イマヌエル・カント#批判哲学を参照されたい。
- ^ Wozniak, R. H. (1999). Classics in Psychology, 1855-1914: Historical Essays W. Bristol: Thoemmes Press.
- ^ 「フェヒナー」コトバンク、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説より。
- ^ a b Hermann Ebbinghaus. (1968). Retrieved from International Encyclopedia of the Social Sciences: http://www.encyclopedia.com/topic/Hermann_Ebbinghaus.aspx
- ^ ヘルマン・エビングハウス『記憶について : 実験心理学への貢献』宇津木保(訳)望月衛(閲)、誠信書房、1978年6月。
- ^ a b c Thorne, B. M.; Henley, T. B. (2001). Connections in the history and systems of psychology (2nd ed.). New York: Houghton Mifflin. ISBN 0-618-04535-X.
- ^ a b Ebbinghaus, H. (1913).. (H. Ruger, & C. Bussenius, Trans.) New York, NY: Teachers College.
- ^ Glaze, J. A. (1928). The association value of non-sense syllables. Pedagogical Seminary and Journal of Genetic Psychology, 35, 255-269.
- ^ T.L. Brink (2008) Psychology: A Student Friendly Approach. "Unit 7: Memory." pp. 126
- ^ Dmitri Nikulin,"Memory: A History"Oxford University Press, 2015/07/30,p.240.
- ^ 「動因とは」コトバンク、日本大百科全書(ニッポニカ)の解説より。
- 1 ヘルマン・エビングハウスとは
- 2 ヘルマン・エビングハウスの概要
- 3 記憶分野での貢献
- 4 他分野での貢献
- 5 心理学の本質に関する議論
- 6 影響
- 7 外部リンク
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