ファラオの葉巻 歴史

ファラオの葉巻

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/08 19:15 UTC 版)

歴史

執筆背景

太極図とケオセフ王のマーク。

作者のエルジェ(本名:ジョルジュ・レミ)は、故郷ブリュッセルにあったローマ・カトリック系の保守紙『20世紀新聞英語版』(Le Vingtième Siècle)で働いており、同紙の子供向け付録誌『20世紀子ども新聞英語版』(Le Petit Vingtième)の編集とイラストレーターを兼ねていた[1]。1929年、エルジェの代表作となる、架空のベルギー人の少年記者・タンタンの活躍を描く『タンタンの冒険』の連載が始まった。初期の3作は社長で教会のアベであったノルベール・ヴァレーズ英語版によってテーマと舞台が決められていた。第1作『タンタン ソビエトへ』は舞台をソビエト連邦とし、反共産主義がテーマであった[2]。第2作『タンタンのコンゴ探険』は舞台をベルギー領コンゴとして植民地主義を刺激することが目的であった[3]。第3作『タンタン アメリカへ』は、アメリカ資本主義を批難するものであった[4]

本作に影響を与えたツタンカーメンの墓の内部写真

第4作目となった本作では、エルジェはミステリー小説的な内容を描きたいと考えていた。 1930年代、西欧ではアガサ・クリスティーエラリー・クイーンといった作家が活躍し、推理小説が盛んな時代であった[5]。 また、1922年にハワード・カーターツタンカーメンの墓英語版(KV62)を発見したこと、その後の関係者の不審死が大衆紙にて「ファラオの呪い」と騒がれたことも、本作のシナリオの材料となっている[6]。 本作に登場するファラオのケオセフ(Kih-Oskh)は架空のものだが、その名前は『20世紀新聞』が売られていたキオスク(kiosk)を捩ったものである[7]。 また、ケオセフ王のシンボルは、道教太極太極図)を元にエルジェが創作したものであった[5]。 本作の制作にあたっては、イギリスの雑誌『ユーモリスト』と『パンチ』から大きな影響を受けたアシスタントであるポール・"ジャム"・ジャマンの助けも受けた[8]

また、本作はフランスの冒険家で武器密売人でもあったアンリ・ド・モンフレイの著書、特に『紅海の秘密(Secrets of the Red Sea)』と『ハシシュ・クルーズ(The Hashish Cruise)』からも影響を受けている。子供時代に第一次世界大戦を経験しているエルジェは武器商人を嫌い、本作に登場する武器商人はモンフレイがモデルとなっている[9]。 ミイラ化した死体が壁に沿って並べ立てられているというアイデアは、ピエール・ブノアの1919年の代表作『アトランティード』から取られたものであり、1932年にゲオルク・ヴィルヘルム・パープストによって映画化(『アトランティド』)されたものであった[10]。 また、掲載誌の表紙に描かれた壁画はパリのルーヴル美術館にあるハトホルセティ1世のレリーフがモデルになっており、タンタンの夢の中で登場するファラオの玉座はツタンカーメンの墓にあったものがモデルである[10]。 麻薬密輸を行う秘密結社というアイデアは、フリーメイソンに関する右派の陰謀論に影響を受けたものであった[11]。エルジェは過激派雑誌『Le Crapouillot』に掲載されたルシアン・ファヌー=レイノーの1932年の記事を元にしたと見られている[12]

オリジナル版(1932年-1934年)

1932年11月24日、『20世紀子ども新聞』誌上にて、タンタンとジャマンのインタビュー記事という形で、今度の冒険先はエジプトから始まり、インド、セイロン、インドシナを経由して、最終的に中国に向かうという発表が行われた[13]。 その後、12月8日に『記者タンタンの冒険、東洋へ』というタイトルで『20世紀子ども新聞』誌にて連載が始まった[14]。 物語の開始が中国ではなくエジプトからであったため、エルジェは一時的に『カイロ事件』というタイトルにしていた[15]。 今までと同じように物語は事前に考えられていたプロットには従わず、1週間毎にエルジェがストーリーを考案するというスタイルであった[16]。 本作の書籍としての出版は、1934年2月の最終回前に、1933年末にはカステルマン英語版社と契約が結ばれていた。そして1934年秋に本作は同社から出版され、これは同社から最初に出版されたタンタンシリーズの作品であった。ただ、エルジェにとって不本意であったことは、夏休みが終わる秋まで出版時期を遅らさせられたことであった[17]。 1936年の再販版では、一部にカラーページが挿入された[18]

本作では後のシリーズにおいてレギュラー化したり、何度か再登場するキャラクターがいる[19]。 その中で最も重要なキャラクターが2人組の刑事「デュポンとデュボン(Dupont and Dupond)」である。彼らは当初「エージェントX33とエージェントX33 bis(Agent X33 and Agent X33 bis)」と呼ばれていた。1941年にジャック・ヴァン・メルケベックと共同執筆した『Tintin in India: The Mystery of the Blue Diamond(タンタン インドへ行く:青いダイヤモンドの謎)』でも登場し、この時は「デュランとデュラン(Durant and Durand)」と名付けられたが、その後に、現在のデュポンとデュボンになった[20]。 そのキャラクター像は、1930年代のステレオタイプなベルギーの警官に、エルジェの一卵性双生児であった父と叔父(アレクシス・レミとレオン・レミ)を掛け合わせたものであった[21]

以降のシリーズでも、しばしば敵役として登場するロベルト・ラスタポプロスが本作で初登場した。本作では著名な映画会社社長として何度か作中に現れるのみだが、次作『青い蓮』にて、実は国際的な犯罪組織のボスであり、本作の黒幕であったことが明かされる。彼の名前はエルジェの友人の一人が考えたものであり、面白いと思ったエルジェが採用したものであった[22]。 設定上はギリシャ姓のイタリア人となっている。また、その造詣はステレオタイプの反ユダヤ主義者が基になっており、エルジェは彼はユダヤ人ではないと完全に否定している[23]。 次に、後にも登場するキャラクターがポルトガル人の商人オリベイラであり、彼はその後、中東を舞台とした『燃える水の国』『紅海のサメ』で再登場する[24]。 本作の物語における中心人物であるフィレモン・サイクロン自体は、本作のみの登場であるが、奇抜な学者というステレオタイプは、後に『レッド・ラッカムの宝』から登場してレギュラーキャラクターとなるビーカー教授英語版の原型である[25]

本作の連載中にヴァレーズが公共事業局の名誉を傷つけたとして告発を受けるというスキャンダルが起きた。新聞社を相手に訴訟が起こされ、社主はヴァレーズに辞任を要求し、これは1933年8月に成立した[26]。 このことにエルジェは落胆して1934年3月に辞職しようとしたが、仕事量を減らし、月給を2000フランから3000フランに昇給させることで引き留められた。結果としてエルジェは残ることを決め、それまで彼が行っていた『20世紀子ども新聞』の日常業務は、ジャマンが引き継ぐことになった[27]

カラー化(1955年)

1940年代から1950年代にかけてエルジェの人気が高まると、エルジェはスタジオのチームと共に、今までのモノクロ版をカラーにリニューアルする作業に着手した。この作業ではエルジェが開発したリーニュクレール[注釈 1]の技法が用いられた。本作のカラー化は、(2017年にカラー化された『タンタン ソビエトへ』を除けば)最後の作品となり、1955年に出版された[29]

単純にカラー化する以外にも改変が加えられた。 例えば、オリジナルには存在した、タンタンがコウモリやワニ、ヘビと対決するシーンなど、プロット展開にはまったく無関係であった孤立した場面は削除され、物語は短縮された[30]。 また、タンタンとスノーウィーが探したアラビアの街の名前はメッカとは明示されなくなり[31]、マハラジャの3人の顧問も削除された[32]。 反対に新たに描き加えられた部分もある。例えば、古代エジプトのピラミッドが背景に追加されるなどしている[33]。 また、序盤に登場する密輸船の船長は、1941年の『金のはさみのカニ』に登場したラスタポプロスの部下であるアランに変更された[24]。 ミイラ化された学者たちが登場するシーンには「E.P. Jacobini」という人物が追加されたが、これはエルジェの友人であったエドガー・P・ジャコブ英語版フランス語版(Edgar P. Jacobs)が元ネタであった[34]

オリジナル版で、シーク・パシャがタンタンに見せるタンタンシリーズの本は『タンタン アメリカへ』であったが、1955年版では『タンタンのコンゴ探険』に変更された。さらに1964年の増刷版では、本来は、本作の後のエピソードであるはずの『めざすは月』(1953年)に変更された[35]ハリー・トンプソン英語版は、この版で行われた重要な改変部分は芸術的なものであり、これはエルジェの芸術的才能が最高潮に達していた1950年代後半に行われたものであるためと評している[36]

その後の出版歴

カステルマン社は、1979年に、エルジェ全集の第2部として『青い蓮』や『かけた耳』とともに、オリジナルのモノクロ版を出版した[37]。その後、さらに1983年にオリジナル版の複製版を出版している[37]

日本語版は、カラー版を底本に、1987年に川口恵子訳として福音館書店から出版された。福音館版は順番が原作と異なっており、本作はシリーズ8作目という扱いであった(本作の続編である『青い蓮』は14作目として出版された)[38]


注釈

  1. ^ リーニュクレール(ligne claire)という名前は、エルジェ自身の命名ではなく、1977年に漫画家のJoost Swarteによって名付けられた[28]

出典

  1. ^ Peeters 1989, pp. 31–32; Thompson 1991, pp. 24–25.
  2. ^ Assouline 2009, pp. 22–23; Peeters 2012, pp. 34–37.
  3. ^ Assouline 2009, pp. 26–29; Peeters 2012, pp. 45–47.
  4. ^ Thompson 1991, p. 46.
  5. ^ a b c Peeters 2012, p. 64.
  6. ^ Thompson 1991, p. 56; Farr 2001, p. 42; Lofficier & Lofficier 2002, p. 31.
  7. ^ Peeters 2012, p. 63.
  8. ^ Thompson 1991, pp. 54–55.
  9. ^ Thompson 1991, p. 54; Farr 2001, p. 45; Peeters 2012, p. 63.
  10. ^ a b Goddin 2008, p. 118.
  11. ^ McCarthy 2006, p. 37; Apostolidès 2010, p. 20.
  12. ^ Apostolidès 2010, p. 23.
  13. ^ Goddin 2008, p. 112; Peeters 2012, p. 62.
  14. ^ Assouline 2009, p. 42.
  15. ^ a b Thompson 1991, p. 56.
  16. ^ Thompson 1991, p. 56; Peeters 2012, p. 63.
  17. ^ Lofficier & Lofficier 2002, p. 30; Peeters 2012, pp. 67–69.
  18. ^ Goddin 2008, p. 96.
  19. ^ Lofficier & Lofficier 2002, p. 31; Peeters 2012, p. 64.
  20. ^ Thompson 1991, p. 52; Lofficier & Lofficier 2002, p. 31; Assouline 2009, p. 42; Peeters 2012, p. 65.
  21. ^ Thompson 1991, p. 53; Farr 2001, p. 41; Assouline 2009, pp. 42–43.
  22. ^ Thompson 1991, p. 53; Farr 2001, p. 41; Peeters 2012, pp. 64–65.
  23. ^ Assouline 2009, p. 42; Peeters 2012, p. 64–65.
  24. ^ a b Thompson 1991, p. 54; Farr 2001, p. 41.
  25. ^ Thompson 1991, p. 54; Assouline 2009, p. 43.
  26. ^ Peeters 2012, p. 60.
  27. ^ Assouline 2009, pp. 40–41; Peeters 2012, pp. 67–68.
  28. ^ Pleban 2006.
  29. ^ Peeters 1989, p. 41; Lofficier & Lofficier 2002, p. 30.
  30. ^ Thompson 1991, p. 55; Farr 2001, p. 48.
  31. ^ Farr 2001, p. 46.
  32. ^ a b c d Farr 2001, p. 48.
  33. ^ Farr 2001, p. 55.
  34. ^ Farr 2001, p. 42.
  35. ^ Farr 2001, pp. 45–46.
  36. ^ Thompson 1991, p. 57.
  37. ^ a b Lofficier & Lofficier 2002, p. 30.
  38. ^ ファラオの葉巻”. 福音館書店. 2023年5月1日閲覧。
  39. ^ a b Lofficier & Lofficier 2002, p. 32.
  40. ^ a b Lofficier & Lofficier 2002, p. 33.
  41. ^ Thompson 1991, p. 52.
  42. ^ Thompson 1991, p. 55.
  43. ^ Farr 2001, p. 41.
  44. ^ Farr 2001, p. 45.
  45. ^ Peeters 2012, p. 62.
  46. ^ Assouline 2009, p. 43.
  47. ^ Lofficier & Lofficier 2002, p. 90.
  48. ^ Arte 2010.
  49. ^ Phillips, Tom (2022年8月22日). “Tintin game to adapt Cigars of the Pharaoh” (英語). Eurogamer. https://www.eurogamer.net/tintin-game-to-adapt-cigars-of-the-pharaoh 2023年3月17日閲覧。 
  50. ^ Romano, Sal (2023年3月9日). “Tintin Reporter: Cigars of the Pharaoh reveal trailer, screenshots” (英語). Gematsu. 2023年3月17日閲覧。





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