ドゥアルテ・ピオ・デ・ブラガンサ ドゥアルテ・ピオ・デ・ブラガンサの概要

ドゥアルテ・ピオ・デ・ブラガンサ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 17:14 UTC 版)

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ドゥアルテ・ピオ
Duarte Pio
ブラガンサ家
ドゥアルテ・ピオ(2008年撮影)

全名
称号 ブラガンサ公英語版
出生 (1945-05-15) 1945年5月15日(76歳)
スイスベルン州ベルン
配偶者 イザベル・デ・エレディア
子女 アフォンソ
マリア・フランシスカ
ディニス
父親 ドゥアルテ・ヌノ・デ・ブラガンサ
母親 マリア・フランシスカ・デ・オルレアンス・エ・ブラガンサ英語版
宗教 キリスト教カトリック教会
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ポルトガル王室

ブラガンサ公ドゥアルテ・ピオ
ブラガンサ公妃イザベル英語版


  • ミゲル・ハファエル王子英語版

経歴

ブラガンサ公ドゥアルテ・ヌノとその妻マリア・フランシスカ英語版ブラジル皇子ペドロ・デ・アルカンタラの次女)の間の長男として、スイスベルンに生まれた。洗礼代父母教皇ピウス12世、および、最後のポルトガル王マヌエル2世の母アメリア・デ・オルレアンスであった。

ドゥアルテ・ピオの出生時、ポルトガルは既に1910年より共和制に移行しており、ポルトガル王家は1834年と1910年に出された追放令によって亡命者となっていた。しかし両親は嫡子に形だけでもポルトガル王位継承権を保持させようと、王位継承者はポルトガル国内で出生しなければならないという王位継承法の条件を満たすため、ドゥアルテ・ピオをスイスのポルトガル大使館で出産した。しかし、ポルトガルの君主制支持者のごく一部の間には、この出生の状況に関してドゥアルテ・ピオの王位継承権に問題があるとする議論もある。

1950年5月27日、ポルトガル共和国議会は1834年と1910年に出した王族追放令を撤回した。1951年、伯母のフィリパに付き添われたドゥアルテ・ピオは初めてポルトガルを訪れた。1952年に両親や2人の弟たちと一緒にポルトガルへ移住した。

1957年から1959年にかけて、ドゥアルテ・ピオはサントチルソ英語版のヌン・アルヴレス校に在校し、1960年にはリスボンコレジオ・ミリタールに入学した。さらにその後農業経営学院英語版(現在のリスボン工科大学英語版の一部)に学んで農学の学位を取得し、ジュネーヴ大学にも在籍している。

1968年から1971年にかけてドゥアルテ・ピオは徴兵され、植民地戦争が展開されていたアンゴラポルトガル空軍のヘリコプター操縦士として軍務に就いた。1972年、ドゥアルテ・ピオはアンゴラの多民族混成の独立組織と関わり、独立組織の作成した独立後の国民議会の議員リストに載せられた。事態を憂慮した首相マルセロ・カエターノの命令で、ドゥアルテ・ピオはアンゴラから呼び戻された。

ドゥアルテ・ピオは、1975年にインドネシアによって占領された、旧ポルトガル植民地の東ティモールの独立運動において、大きな役割を果たした。この問題が世界各国のメディアに取り上げられる以前から、ドゥアルテ・ピオは様々な国や国際的な場で、東ティモールの民族自決が認められるように働きかけを続けた。1997年、ドゥアルテ・ピオはインドネシア副大統領ユスフ・ハビビに対し、東ティモールで独立の是非を問う住民投票を行うことを提案している。1999年にハビビが大統領に就任した後、東ティモールでは住民投票が行われ、独立が実現した。

2006年5月、ポルトガル外相ディオゴ・フレイタス・ド・アマラル英語版は自らの出した公式声明の中で、ドゥアルテ・ピオを「ブラガンサ公」と呼んだ。これを受けて、2006年7月5日に人民君主党英語版党首で国会議員のヌノ・ダ・カマラ・ペレイラポルトガル語版は、ドゥアルテ・ピオを王位請求者ならびにブラガンサ公として正式な承認を行うよう、共和国議会議長に求めた。このため2006年7月11日、政府はポルトガル憲法は共和政体を明示していることを公式声明として発表しなければならなかった。

結婚と子女

近年のブラガンサ公(2017年)

1995年5月13日、イザベル・デ・エレディア英語版と結婚式を挙げた。婚礼はリスボンのジェロニモス修道院において、アントニオ・ヒベイロ英語版枢機卿の主宰で執り行われた。結婚式には当時の大統領マリオ・ソアレス、首相アニーバル・カヴァコ・シルヴァを初めとしたポルトガルの主要な政治家たち、そしてヨーロッパの諸王家の代表が出席した。この結婚式と、翌年の長男アフォンソの誕生は、ポルトガル中のメディアで大ニュースとして取り上げられた。

イザベルとの間に2男1女を儲けている。




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