タスカンビア (アラバマ州) タスカンビア (アラバマ州)の概要

タスカンビア (アラバマ州)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/04/18 23:05 UTC 版)

ヘレン・ケラーの生家、アイビー・グリーン
 
上: アラバマ州におけるコルバート郡の位置
下: コルバート郡におけるタスカンビアの市域

タスカンビアはヘレン・ケラーを生んだ地である。ヘレンが少女時代を過ごし、アン・サリヴァンと出会った生家、アイビー・グリーンは市中心部の北[2]に立地しており、敷地と共に博物館として一般に公開されている[3]。アイビー・グリーンは1970年国家歴史登録財[4]に、1992年国定歴史建造物[5]に指定された。

この地に最初に入植してきたのはフランス人であった。しかし、フランス人が創った入植地は1786年に壊され、その跡地にチカソー族が集住するようになった。その後1815年頃、マイケル・ディクソン一家がこの地に移入してきた。1820年に町はオココポサ(Ococoposa)という名で正式に法人化され、1822年に行われた投票により、チカソー族の酋長の名にちなんだタスカンビアという名に改められた[6]

コルバート郡地方裁判所

1824年に町の近くのテネシー河岸に船着場が設けられると、テネシー川の舟運により町の商業が発展し始めた。1830年代に入ると蒸気船の利用者は減っていったが、商用交通路を確保したがった地元商人たちによって、タスカンビアとディケーターとを結ぶ鉄道が敷かれた。この時に敷かれたタスカンビア・コートランド・アンド・ディケーター鉄道は、1850年代に入るとメンフィス・アンド・チャールストン鉄道の重要な部分となり、19世紀末に至るまで、タスカンビアを鉄道交通の中心地たらしめることとなった。南北戦争においては、メンフィス・アンド・チャールストン鉄道は南軍の重要な補給路となったが、それが故に、タスカンビアは北軍の攻撃対象となって大きな戦災を受け、復興には20年の歳月を要した[6]

南北戦争後、1867年にタスカンビアはコルバート郡の郡庁所在地となった。最初の郡地方裁判所は1882年に建てられた。現在市中心部に建っている白亜の庁舎は1909年に再建されたものである[6]。この郡地方裁判所を中心とした地区は1973年、コルバート・カウンティ・コートハウス・スクエア歴史地区として国家歴史登録財に指定された[7]

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