ジル・ヴィルヌーヴ
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エピソード
このレーシングドライバーのエピソードに関する文献や情報源が必要です。(2010年1月) |
- プライベートでは飾らない気さくな人物として知られていた。率直な性格で、フェラーリチームではご法度とされるマシン批判も厭わなかった。また、サーキットに自身のモーターホームを持ち込み、家族と寝泊りするなど、庶民的な生活スタイルを愛していた。
- その様な普段の人間性とは裏腹に、ひとたびハンドルを握ればスピード狂という二面性があり、これも終生変わらなかった。サーキット外での幾つものとんでもない「公道伝説」が周囲の人物によって語られている。
- ピローニ曰く、過去には愛車のフェラーリでイタリアの高速道路をピローニとともに270〜280km/hのスピードでかっ飛ばして、どちらが長くアクセルペダルを床まで踏み続けられるかを競っていたこともある。
- モナコからフィオラノの区間をブレーキを踏まずに僅か2時間45分で走破したという伝説があり、この記録は未だに破られていない(普通の速度ならば5時間30分を要する)。
- イタリアンレッドにペイントされたヴィルヌーブの自家用車フェラーリ・308にシェクターが初めて同乗した際、ジルは混雑していて車の列の切れ目がほとんどない高速道路を、220km/h以上のスピードでジグザグ走行をしながらすり抜けたという。その際、突如進路変更をしてきた大型車と接触しそうになると、ヴィルヌーブは少しも動揺せずにサイドブレーキを引いて瞬時に車を真横に向け、ドリフトによる減速でこれを回避した。大型車のリアバンパーすれすれに自車のサイドボディが迫りながらも、ヴィルヌーブは余裕の表情を浮かべていた[24]。目的地に着いて車を降りたシェクターは「二度とジルの運転する車には乗らない」とコメントした。
- 一方、シェクターが運転している車の助手席にジルが乗っていたときは、突然フロントガラスの前に新聞紙を広げ「ジョディ、おまえの記事が載ってるぞ!」と叫ぶ危険極まりないいたずらも行っている。
- ハーベイ・ポスルスウェイトは、F1ドライバーでさえ嫌がるジルの助手席に乗った人間としては極めて珍しいことに、「世界で一番上手なドライバーの助手席なのだから、ここは世界で一番安全な場所」とコメントしている。しかし、一緒に食事に行く際、脇道から飛び出してきたスクーターの老人をヴィルヌーブが華麗なブレーキングとドリフトで360度ターンでかわしたみせたものの、ポスルスウェイトは翌日の新聞にヴィルヌーヴが老人を撥ねた記事が載ることを鮮明にイメージしてしまったという。
- スポーツカー以外にも高価なパワーボートやヘリコプターを乗り回し、同乗者に恐怖を体験させている。
- 若い頃は父親の所有する車のスペアキーを作り、夜中に乗り回していた。
- ワイン嫌いで、フランス料理を食べる際はコカコーラを飲んでいた。
- 食事に対しては無頓着であったらしく、いつも言う言葉は「ステーキとポテトで十分」。
- ^ レースキャリアへの影響を考え、プロフィールでは1952年生れと偽っていた。
- ^ 『Racing On』(三栄書房、2012年)460「ジルとディディエ」、p.53。
- ^ フェラーリ以外のチームでF1グランプリを走ったのは、このレースのみ。
- ^ 1987年に鈴鹿サーキットで再開された。
- ^ 1位でゴールしたアンドレッティも同じくフライングのペナルティーで1分加算され6位。
- ^ シェクターは「ジルがチームメイトで良かった。そうでなければチャンピオンにはなれなかった(彼がチャンピオンを取った可能性も高い、の意)。」と語っている。また、ヴィルヌーヴ本人は正直に「チャンピオンを取りたかった」旨のコメントを残しているが、あくまで自分がナンバー2という立場を理解し貫き通した。チャンピオン決定の舞台となったイタリアグランプリでもチームオーダーを守り抜き、シェクターを抜こうとしなかった。シェクターのチャンピオンが確定したレース後、「シェクターのマシンが壊れてくれる事を祈った」と冗談めかしてコメントしている。
- ^ “Gilles Villeneuve's Final Victory | 1981 Spanish Grand Prix”. FORMULA 1 2018-05-09. 2021年3月19日閲覧。
- ^ “Gilles Villeneuve Drives Unsighted | 1981 Canadian Grand Prix”. FORMULA 1 (2018年6月4日). 2020年3月10日閲覧。
- ^ この時、3位のミケーレ・アルボレートには1分近く差があり、フェラーリの1-2フィニッシュは決定的だった。
- ^ ピローニは「SLOW」のサインを「燃費に注意を払えば、抜いても構わない」と解釈していたという説もある。
- ^ ピローニはヴィルヌーヴに友情を感じており、この事件も必ずしも悪意ではなかったという意見もある
- ^ サンマリノGP後のインタビューにて、1979年イタリアGPでの自分と状況を比較した上での批判も行った。
- ^ 「彼の死により、2つ悲しい事がある。1つは彼が僕が今まで会った中で一番純粋な男であった事、もう1つは彼がF1史上最速のレーサーだった事。自分のする事を愛し、精魂を込めていました。でも、私達の元を離れてはいない。彼がモータースポーツ界に残したものは、語り継がれるからです」等と述べた。
- ^ Gerald Donaldson (2003). Gilles Villeneuve: The Life of the Legendary Racing Driver. Virgin Books. pp. 296–298. ISBN 978-0-7535-0747-6
- ^ FISAに却下されたが、エンツォ・フェラーリは27番を永久欠番にして「37」を使うよう要請している。
- ^ キリスト教文化圏で不吉とされる13番は飛び番として除かれるため。
- ^ 前年王者のみ、1番と自分の番号の中から好きな方を選んでつけることができる。
- ^ エンツォは、安全を重視する知性派ニキ・ラウダとはレース観があまりかみ合わず対立が続いた。
- ^ インタビュー リカルド・パトレーゼ 200回目のグリーンシグナル グランプリ・エクスプレス イギリスGP号 9-11頁 1990年8月4日発行
- ^ 走行中のフォーミュラカーのタイヤの接地面同士が接触すると、相互のタイヤの回転エネルギーや後輪に加わる駆動力、ダウンフォース・地面効果の喪失などが複合的に作用して車体が一気に舞い上がる事も少なくなく、重大なクラッシュ事故に直結しやすい。特に地面効果を極限まで追求し利用していた当時のグラウンド・エフェクト・カー構造では尚更である。
- ^ ジェラルド・ドナルドソン「ジル・ヴィルヌーヴ 流れ星の伝説」豊岡真美/坂野なるたか/森岡成憲訳、ソニーマガジンズ社第6刷、225頁参照
- ^ ジェラルド・ドナルドソン「ジル・ヴィルヌーヴ 流れ星の伝説」豊岡真美/坂野なるたか/森岡成憲訳、ソニーマガジンズ社第6刷、115頁・写真解説部分参照
- ^ ジェラルド・ドナルドソン「ジル・ヴィルヌーヴ 流れ星の伝説」豊岡真美/坂野なるたか/森岡成憲訳、ソニーマガジンズ社第6刷、322頁
- ^ この時、シェクターは両目を覆って、もはやこれまでと観念していたという。
- ^ このときにはシェクターが同乗していた。
固有名詞の分類
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