シチリア王国
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経済
ノルマン朝のもと、他所からの移住者と領内の再定住者を使っての農業生産力の向上が進められた。また王国の主な収入としてはナポリ、アマルフィといった海港都市からの輸出品が挙げられる。主な輸出品は穀物であり、他には豆類、材木、オリーブ油、ベーコン、チーズ、皮革、獣皮、麻、服飾がある。12世紀末までには南部のメッシーナのこれら開港都市としての発展も見られる。
王国の主な取引先にはジェノヴァ、ピサ、東ローマ帝国、エジプト(ファーティマ朝)が挙げられる。中でもジェノヴァとの様々な協約は国の商業力の保証と強化に役立った。しかし、アンジュー朝期に進展した封建制は逆に経済力の低下に繋がった。またアンジュー朝はフィレンツェの銀行員ら北イタリアの経済と金融に依存したため、これもまた国の経済を悪化させた。これら経済の失速とともに人口増加と都市化が進展した結果、農業力を発展させようというモチベーションは低減していくこととなった。
貨幣
シチリアでは、12世紀のノルマン王朝は913年からタリ金貨を基礎貨幣として使用してきた。1タリは金1グラム、16 1⁄3カラットの金であった。アラブのディナール金貨も4タリの価値として、東ローマ帝国のソリドゥス金貨は6タリの価値であった[4]。シチリア王国では、1オンザ = 30タリまたは5フローリンであった。1タリ = 20グラナであった。1グラナ = 6デナリであった。1140年以降、ロメシナ銅貨の流通が停止され、フォラーロ銅貨が導入された。24フォラーロ = 1東ローマ帝国ミリアレンセであった。
1231年にチュニジア人を敗走させたあと、シチリア王でもあったフリードリヒ2世(フェデリコ2世)はアウグスターレ金貨を鋳造。21 1⁄2カラットで重さ5.28グラムであった[5]。1490年、シチリアではトリオンフォ金貨が鋳造された。ヴェネツィア共和国ドゥカートと同価で、1トリオンフォ = 11 1⁄2アクイーラであった。1アクイーラ = 20グラナの価値があり、交易には主にタリ金貨やピチューリが使用された[6]。
参考文献
- 高山博『中世シチリア王国』講談社〈講談社現代新書〉、1999年。
- ^ Danforth Prince (2007). Frommer's Sicily. Frommer's. p. 314. ISBN 978-0-470-10056-1
- ^ W. H. Clements, "The Defences of Sicily, 1806-1815," Journal of the Society for Army Historical Research, Autumn 2009, Vol. 87 Issue 351, pp 256-272
- ^ Alfonso Scirocco (2007). Garibaldi: Citizen of the World. Princeton University Press. p. 279. ISBN 978-0-691-11540-5
- ^ Donald Matthew (1992). The Norman Kingdom of Sicily. Cambridge University Press. pp. 4–6, 71–74, 86–92, 285, 286, 304. ISBN 0-521-26911-3
- ^ Peter L. Bernstein (2000). The power of gold: the history of an obsession. John Wiley and Sons. p. 90. ISBN 0-471-25210-7
- ^ N. Zeldes (2003). The Former Jews of This Kingdom: Sicilian Converts After the Expulsion, 1492–1516. BRILL. pp. 5, 69, 296–97. ISBN 90-04-12898-0
固有名詞の分類
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