ギュンター・シャボフスキー
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ギュンター・シャボフスキー Günter Schabowski | |
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1982年の肖像写真 (ドイツ社会主義統一党中央委員時代) | |
生年月日 | 1929年1月4日 |
出生地 |
ドイツ国 プロイセン自由州(邦) ポンメルン州 アンクラム |
没年月日 | 2015年11月1日(86歳没) |
死没地 |
ドイツ連邦共和国 ベルリン |
出身校 | ライプツィヒ大学 |
所属政党 | ドイツ社会主義統一党 |
称号 | カール・マルクス勲章 |
配偶者 | イリーナ・シャボフスキー |
サイン | |
在任期間 | 1981年 - 1990年1月11日 |
その他の職歴 | |
ドイツ社会主義統一党 ベルリン地区委員会第一書記 (1985年 - 1989年) | |
ドイツ社会主義統一党 中央委員会政治局員 (1984年5月24日 - 1989年12月3日) | |
ドイツ社会主義統一党中央委員 (1981年 - 1984年5月24日) | |
ノイエス・ドイチュラント編集長 (1978年 - 1985年) |
ベルリンの壁崩壊のきっかけを作った人物として知られる。「シャボウスキー」とも表記される。
- ^ 三浦元博・山崎博康『東欧革命-権力の内側で何が起きたか-』(岩波新書 1992年 ISBN 4004302560)P29
- ^ 三浦・山崎『東欧革命-権力の内側で何が起きたか-』P10-16
- ^ 三浦・山崎『東欧革命-権力の内側で何が起きたか-』P23-24
- ^ 記者会見の映像Schabowskis Mauerfall-Pressekonferenz "Sofort, unverzüglich", tagesschau.de[リンク切れ]
- ^ 三浦・山崎『東欧革命-権力の内側で何が起きたか-』P25
- ^ 三浦・山崎『東欧革命-権力の内側で何が起きたか-』P24
- ^ マイケル・マイヤー 著、早良哲夫訳『1989 世界を変えた年』(作品社 2010年)P275-277
- ^ なお、この記者会見の時点では政令案はSEDの党内では承認されていたが、閣僚評議会(内閣)ではまだ承認されておらず、正式な政令にすらなっていなかった。(三浦・山崎『東欧革命-権力の内側で何が起きたか-』P24-P25)
- ^ “トリビアの泉視聴記2003年10月”. 鈴木舟太のクイズホームページ (2003年10月31日). 2021年12月25日閲覧。
- ^ “ベルリンの壁を「うっかり発言」で崩壊させたシャボフスキー氏が死去”. ハフポスト (2015年11月2日). 2019年12月10日閲覧。
- ^ Günter Schabowski ist tot(ベルリン・ブランデンブルク放送協会 2015年11月1日、同日閲覧)
- ^ Nachruf Günter Schabowski(ARD、ターゲスシャウ、2015年11月1日)
- 1 ギュンター・シャボフスキーとは
- 2 ギュンター・シャボフスキーの概要
- 3 プロフィール
- 4 関連項目
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