ギザの大ピラミッド 概要

ギザの大ピラミッド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/16 05:29 UTC 版)

概要

上空からみた三大ピラミッド 一番左が大ピラミッド

第4王朝はクフの父スネフェルによって開かれ、巨大なピラミッドが建造された時期にあたる[5]。ギザには第4王朝に築かれたピラミッドが3基(三大ピラミッド)があるが、その中で最初に建造され、最大のピラミッドが大ピラミッドである[1]。古代エジプトで大ピラミッドはアケト・クフと呼ばれていた。これは「クフの地平」を意味するが、「クフがアクになる場所」[注釈 1]に掛けた語呂合わせとされる[6]

大ピラミッドは古代世界の七不思議に記される古くからの世界的な観光地でもあり、見る者に驚愕と尊敬の念を与え続けてきた[7][8]。数多くあるエジプトのピラミッドの中で最大であるだけでなく、その複雑な内部構造など異質な点も多く、それゆえに特別視されることもあった[1]。特に19世紀から神秘学オカルトニューエイジと結びつける人々による謎解きはピラミッド学ドイツ語版と揶揄される。彼らは古代エジプト人が大ピラミッドを築いたことを信じずに、聖書的・神知的・天文学的・数学的な論理を用いて説明しようと試みた。大ピラミッドを王墓ではなく天文台日時計だと主張したり、さらには失われた超古代文明宇宙人と結びつけられる事もあったが、これらは考古学的に否定されている[9]

一方で考古学者の中にも未知の空間を期待する者もおり、現在でも様々な調査が行われている[10]

立地と構造

基部に残されている化粧石 化粧石の側面下部には梃子の作用点になる窪みが残されている。化粧石の下の平らな石が基壇。基壇より右側の石畳は中庭の舗装。
北東角の窪み

大ピラミッドはギザ台地と呼ばれる巨大な岩盤の北端に位置する[11]。台地は石灰岩累層で東西2.2㎞、南北1.1㎞で5000万年前に地上に現れたと考えられている[12]。この場所は、宗教的な理由からナイル川の西側で、首都メンフィスに近いなどの理由から選ばれたとされる[13]

大ピラミッドは石灰岩製の石板を並べて作られた基壇の上に建てられ[14]、その底面の誤差は水平2.1cm、南北の方位0度3分6秒、側面長さ4.4cmという驚異的な精度で建造されている[15][16][注釈 2]。岩盤の上に正確に水平な基壇を作った理由はスネフェルのピラミッドの失敗を教訓にしたものと考えられる[16]

大ピラミッドは完成時には化粧石で覆われ綺麗な四角錐であった。化粧石はナイル対岸のトゥーラから運ばれた良質な石灰岩で、完成時には白く輝いていたと考えられているが、イスラム時代にカイロの街をつくるための建材として剥がされ、底部に一部が残るのみである[17]。また頂部のピラミディオン(キャップストーン)も失われている[18]。現在は化粧石の下地であった裏張り石が露出しており、表面は階段状でその総数は203段である[17][18]。石材は1つ平均で2.5t程度とされ、230万個の石材が使用されていると推定される。1段あたりの高さは段ごとにまちまちで、35段、44段、67段、90段などいくつかの段に大きな石が使われているが、その理由は分かっていない[17]。ディーター・アルノルトは、大きな石は内部にあるコアの階段状になっている位置を示すとの仮説を立てている。石材同士はモルタルで接着されているが、これは建造時に梃子をつかって滑らせて移動する際の潤滑剤の役割もあったと考えられる[17]

大ピラミッドの構造はその中心となるコアがあるとする説があり、特に上昇通路が貫通しているいわゆる帯石はその境界とする見解がある。実際に同時代のピラミッドはコア構造をしており、その蓋然性は高いが、実際の構造は確認されていない[19]。また、大ピラミッド全体が四角い石を積み上げたのではなく、内部には不揃いな小部屋が複数あり、その中に充填材を詰め込んだ構造だと考えられている[16][18][注釈 3]。現在、北東の角の地上から80m程の高さの位置に窪みがあり、その隙間から洞窟状のスペースに入ることが出来る。これを実見した河江肖剰は、この場所を充填材を詰め込んだスペースが露出した場所だと推測している[21][注釈 4]

内部構造

大ピラミッド断面図
1.正規の入口 2.盗掘口 3.下降通路 4.下降通路 5.地下室 6.上昇通路 7.女王の間と通気孔 8.水平通路 9.大回廊 10.王の間と通気孔 11.竪孔 2023年3月2日、1から通路2に平行する向きの新しい空間が発見された。[22]

大ピラミッドの内部は、多くのピラミッドの中でも特異な構造をしている。この構造は当初からの計画であったか、あるいは幾たびかの設計変更が加えられたのか、諸説あるが結論は出ていない[23]。ボルヒャルト・ルートヴィヒは最初に玄室に計画されたのが地下室で、次に女王の間、最後に王の間と3段階に計画が変更されたとしている。これに反対し単一の計画で作られたとする研究者にはヴィート・マラジョッリョやライナー・シュターデルマンらが居る[10]

入口

大ピラミッドの入口は、他の多くのピラミッドと同様に北面にある。正規の入口は基部から19段目にあり中心軸から7.29m東にずれている。また、塞がれている開口部の高さは1m足らずである[23][24]

現在の観光客の入口は、9世紀のカリフのアル=マムーンが掘ったと伝承されている盗掘口で、地上から7mの高さにあけられている[25]。そこから水平に伸びるトンネルは、伝承には火と酸を使って掘られたと記されている。このトンネルは本来の通路である、下降通路と上昇通路が交わる部分に続いている[24]

下降通路

本来の入口を入ると下降通路がある。下降通路の幅は約1mで高さは1.2m、傾斜角度は26度31分23秒である[24][26]。入口から地下へ降る通路は、多くのピラミッドに共通する特徴であるが、大ピラミッドでは初めて岩盤を掘り抜いて作られている[23]

地下室

地下室は地下およそ30mほどの位置にあり未完成だが[注釈 5]、広さは14m×7.2mで高さが5.3mほどである。床には四角い穴があり、もっと深く掘り下げる計画であったと考えられる。地下室から南に延びる小さい通路が設けられているが、何処にもつながっておらず用途も不明である[23][26]

この地下室に至る下降通路の大きさから、この場所に石棺を運び入れることは難しいと考えられ、玄室の手前にある閉塞装置もない[24]。この事から玄室として使用された可能性は低いとされる[23]。その用途について定説はないが、玄室として計画されたが未完成のまま放棄されたと考える研究者もいる[24]。また、最後に作られた玄室ではない部屋で王の死去で中止されたという説もある[23]

上昇通路

下降通路は地盤面の手前で上昇通路と交わる。上昇通路は花崗岩製の石栓で封鎖されていた[24]。通路の幅は約1.05mだが[23]、石栓で塞がる部分は狭くなっている[10]。上昇通路は39.3mの長さで傾斜角度は26度2分30秒[27]

水平通路

上昇通路から大回廊に繋がる部分から、水平に南に延びる通路がある[28]。完成時には、水平通路への入口は大回廊の床下に隠されていたと考えられる[23]。通路は女王の間に至るが、その5mほど手前に段差があり、女王の間は水平通路より60cmほど下がっている。これを石泥棒が花崗岩の仕上げをはぎ取った跡とする研究者もいる[28]

女王の間

水平通路の先にあるのが女王の間(王妃の間)である。この名称はアラブ人の探検家によって名付けられたもので、実際に女王が埋葬されたとは考えられていない。切妻構造の天井で広さは5.8m×5.3mで高さは6mで、大ピラミッドの東西の中心に位置している。全体が上質な石灰岩でつくられ、装飾等はない。また床は粗雑で未完成と考えられる。南北には通気孔と称される細い穴が伸びている[23][28][27]

東面には高さ4.7mの壁龕が持ち送り構造[注釈 6]で作られている。また、壁龕の床はかつで盗掘者が掘った穴が開いている[23]。壁龕の用途は不明だが、王の霊的分身であるカァの像が納められていたとする説が有力である。それが正しければ、カァの像を収める壁龕のある部屋(セルダブ)が、女王の間の用途と考えられる[23][27]。他には、シュターデルマンの第4王朝には埋葬施設が玄室・前室・倉庫の3室で構成されるようになったとし、女王の間を前室に相当するとする説や[10]、王の間が完成するまでの保険として設けられた予備の玄室とする専門家もいる[28]

竪孔

大回廊の西側面に下に降りる竪孔(井戸ともいう)が開いている。この竪孔は地下まで延びており、下降通路の地下室近くに繋がっている。この竪孔の用途は、王の間を石栓で封印した作業員が外に出るための通路とする説や、地下室で作業するための通気口とする説がある[23][24]

大回廊

上昇通路を上ると、やがて大回廊と呼ばれる巨大な通路になる。長さ46.7m、幅2.1m、高さ8.7mで、壁面は7段の持ち送り構造となっている[23]。持ち送り構造は1段で7.5cmずつ迫り出しており、上部から5段目には何かを受けるようなシャクリが付いている。天井はおよそ1m幅の石板で仕上げられるが、その仕上げは平面ではなく段がつけられている[29]。また下部には両壁に沿って幅50cm、高61cmのベンチがある。その上部には左右それぞれ27個の四角い穴が均等な間隔であけられており、それに対応するように壁面にも窪みがある。このベンチと穴の役割について、石栓を留める装置や、建材の運搬に使われた装置などの説があるが、特定には至っていない[24][29]

王の間

大回廊から前室を経て王の間に至る。王の間の広さは10.5m×5.2mで高さ5.8mで、東西の中心に位置している。赤色花崗岩が隙間なく積まれており、表面は平滑に仕上げられるが装飾はない[30][23]。玄室の天井は9本の巨大な石梁で作られている。これに用いられる石材も花崗岩で作られ、重量は50tから60tと推定され、大ピラミッドで確認される最重量の石材である[31][23]

この部屋が大ピラミッドの玄室とするのが定説であるが、一般に古代エジプトでは地下に作られる玄室が、なぜこれほど高い位置に作られたのかは明らかではない[23][注釈 7]。また、工事中に入ったと考えられている王の間の天井南側の亀裂を根拠に、ヴィエスワフ・コジンスキーは王の間は玄室として完成されることなく放棄されたと推測している[32][23]

重量軽減の間

王の間の上部には5つの低い部屋が重ねられ、最上部は切妻構造になっている。このような構造は先例がなく、その後でも極めて稀である[23]。王の間の床から重量軽減の間の最上部までの総高さは21mを超える[32]。重量軽減の間へは大回廊の最も高い位置にある裂け目から最下部に入ることが出来る[33]。5つの部屋は下から、デーヴィソンの間、ウェリントンの間、ネルソンの間、アーバスノット夫人の間、キャンベルの間と名付けられている[34]。最上部の切妻構造は石灰岩で、他は全て花崗岩で作られており[35]、いずれの層も天井は平滑に仕上げられているが、床は仕上げられていない[33]。 この部屋は、1760年代にナサニエル・デヴィドソンが最下層を発見し、1837年にハワード・ヴァイズがダイナマイトで穴を開けてさらに上層があることを発見した。内部には労働者集団の名前がオーカー(酸化鉄を含む粘土)で書かれ[31]、この労働者集団の名前にクフの文字があったことから、大ピラミッドの埋葬者が特定された[23][32][7]。また、メモ書きと思われる「17回目の頭数調査の年」の文からこの場所の建設がクフ王の即位34年目に行われたと考えられている[32]

石棺

王の間には、花崗岩製の簡素な棺が置かれている。長さ2.28m、幅0.98m、高さ1.05mで、入口よりも大きいため完成前に封入されたと考えられる[36][23]。アスワンの石切場から運ばれた花崗岩で作られたもので表面の装飾はまったく、蓋も見つかっていない。古代エジプトにおいて、花崗岩をくり抜いて作られた初めての棺と考えられる[36]。当時は青銅の道具はなく[注釈 8]で作られた円筒状の鋸で砂を撒きながら掘り削られたと考えられている[37]。1999年に行われた実験考古学により、こうした形状に加工する為には延べ28000時間、9年が掛かったと推定されている[38][39]

前室

大回廊を上った先には前室(控えの間)がある。部屋の東西の壁は花崗岩で作られており、4つの溝が掘られている。このうち幅が広く床まで届く3つの溝に上下にスライドする花崗岩製の落とし戸が3つ設けられていたと考えられ、それぞれ上部に渡された丸太と綱を使って開閉されたと考えられている[23][32][29]

通気孔

王の間と女王の間には、それぞれ南北に20cm角ほどの通気孔と呼ばれる細い斜坑がある[23]。このような通気孔を有するのは大ピラミッドのみである[28]

王の間の通気孔は床から90cm程度の高さにあけられ、北側は31度、南側は45度である。現在、王の間の通気孔は外部まで通じているが、おそらく完成時には化粧石によって塞がれていたと考えられる[23][40]

女王の間の通気孔は元々塞がれていて壁と区別がつかなかったが、1872年にウェイマン・ディクソンが入口を発見して開いた[28]。北側の通気孔は約1.9m水平に伸びた後37度28分の角度で昇り、南側は約2m水平に伸びたのちに38度28分の角度に延びている。こちらは大ピラミッドの外まで延びていない[40]。1993年にルドルフ・ガンテンブリンクは女王の間の南側の通気孔をロボットで探索したが、65mほど進んだところで石の栓で塞がれていた。栓には2本の腐食した銅製のピンが埋め込まれていた[23][28]。2002年にはザヒ・ハワスがロボットによる調査を行い、南側にも同じような石栓がある事が確認された[28]。また、ディクソンは北側の通気孔の内部から遺物を採取している。この遺物は現在大英博物館に収蔵されているが、用途は不明である[23]

4つの通気孔はライナー・シュタデルマンとルドルフ・ガンテンブリンクによって、紀元前2450年頃の星に照準が合わせられていることが明らかになった。それによれば、王の間の南はオリオン座の帯のアルニタク、王の間の北は竜座のα星ツバン、女王の間の南はシリウス、女王の間の北はこぐま座のベータ星のコカブに向かっている[41]。彼らの仮説では、一般的なピラミッドにおいて地下に設けられている玄室から入口への上昇通路は王の魂が空へ昇るための通路も兼ねているが、大ピラミッドでは入口より高い位置に王の間と女王の間があるため、別途に設けられた魂が昇るための通路だとしており、最も有力視されている[28][41]

その他

2023年3月2日、大ピラミッドの正規の入口から続く未知の空間が新たに発見された。[22]


注釈

  1. ^ 死者は最終的に「祝福された霊」という存在になると信じられ、これをアクと呼んだ[6]
  2. ^ 底面が水平になっているのは外周部のみと考えられ、内部の底面は自然の低い丘をそのままのこしていると考えられている[16]
  3. ^ 充填材とは、壁などの構造物の外壁などを良質な石材を積み上げて作り、その内部に封入するがれきや質の悪い建材などのこと。古代エジプトではよく用いられる手法[20]
  4. ^ 内部螺旋傾斜路説を唱えるジャン=ピエール・ウーダンは、この窪みを石材を方向転換するオープンスペースであると主張したが、河江はこの説を否定している[21]
  5. ^ ライナー・シュタデルマン英語版は粗削りな状態は冥界の洞穴を表現したものと推測している[23]。その仮説によれば、王は死後に死の神ソカルと融合する場所が地下室であった[24]
  6. ^ 持ち送り構造はスネフェルのダハシュールピラミッドで初めて採用された構造[23]
  7. ^ スネフェル王のピラミッドなど一部は地上にあるが、これほど高い位置ではない[23]
  8. ^ 隕鉄や青銅は装飾具として使用されていた[37]
  9. ^ 第3王朝フニ王のピラミッド、第4王朝のスネフェル王の崩れピラミッドなど[45]
  10. ^ ピラミッドを二つに割るように傾斜路を作る方法で、第5王朝のサフラー王のピラミッドで確認されている[48]
  11. ^ メイドゥム様式の特徴は複合体の軸線が東西軸で入口が東側中央にあり、東西軸に対して対称な構造でカァの墓として衛星ピラミッドがあるなどの特徴がある[66]
  12. ^ 王像を収めるための壁の窪み[72]
  13. ^ 来世への入口[71]
  14. ^ G1-cの礼拝室は、第21から26王朝時代にピラミッドの女主人という称号をもつイシスの神殿に作り替えられたため、現存したと考えられている[76]
  15. ^ ボーヴァルは地球の歳差運動と星座の関係に着目するあまり、古代エジプトの起源を10450年前とする超古代文明を主張するようになる[41]
  16. ^ エメンエムハト1世の神殿を調査したメトロポリタン美術館は、このレリーフをギザとは別のクフ王の神殿から運ばれたと推測している[70]
  17. ^ 現在でも「ニュートンはピラミッドが世界の終末を解く鍵だと信じていた」などの言説があるが、これらは19世紀以降に唱えられるようになったものである[98]

出典

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  112. ^ a b c d レーナ― 2001, p. 66-67.
  113. ^ 河江肖剰 2018, p. 348-253.






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