キングII作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/31 14:58 UTC 版)
結果
作戦が進展するごとに台湾沖航空戦、十・十空襲、レイテ沖海戦が発生した。連合軍は一部に不備な点もあったもののこれらを計画通りこなし、反撃してきた日本軍に決定的打撃を与えた(詳細は各記事を参照のこと)。反撃による進攻スケジュールの遅れは2週間に過ぎなかった。以後、作戦の中心は10月3日の統合参謀本部決定に従いルソン島の戦い、硫黄島の戦い、沖縄戦に移行する。
文献
下記の物以外は「レイテ沖海戦」の文献欄を参照。
- 『丸スペシャル 比島沖海戦1 太平洋戦争海空戦シリーズ』丸スペシャル105 潮書房(1985年)
- 谷光太郎「第11章」『アーネスト・キング』白桃書房(1993年)ISBN 978-4561510215
- カール・ソルバーグ著、高城肇訳『決断と異議 レイテ沖のアメリカ艦隊勝利の真相』光人社 ISBN 4-7698-0934-4 (1999年邦訳初出、原書は1995年単行本)
- 佐藤和正 『レイテ沖海戦 下巻』光人社NF文庫 ISBN 4-7698-2198-0(1998年)
- 神野正美『空母瑞鶴』光人社 ISBN 4-7698-1026-1 (2001年)
- 1992年初出、1995年文庫化した本の改訂版。書名は個艦名がつけられているが、エンガノ岬沖海戦を米軍のアクションレポートを和訳し日本側戦闘詳報と比較。
- 原勝洋「第二部 レイテ沖海戦における大和艦隊の実態」『日米全調査 決戦戦艦大和の全貌』三修社 ISBN 4-3840-3389-3(2004年)
関連項目
- ^ カール・ソルバーグ『決断と異議』「1.出撃」
- ^ 第3艦隊に課せられた制限については下記
カール・ソルバーグ『決断と異議』P128 - ^ 1942年1月の第一次ワシントン会談(アルカディア)で設けられたもので、英米を中心とする連合軍の、日本風に表現すれば主に軍政レベルでの折衝を行なうための会議であり、統合参謀本部(書によっては統合参謀会議)などとは別である。英国幕僚長会議、米統合参謀本部はこの会議の下位に位置する
- ^ 指揮権改定関連についての日本語文献は 新見政一『第二次世界大戦戦争指導史』原書房、1984年、
その他は谷光太郎『アーネスト・キング』白桃書房、1993年 - ^ 司令部の人員については下記
カール・ソルバーグ『決断と異議』P35 - ^ 以上「米揚陸艦の系譜」『世界の艦船』2001年5月号他
- ^ 当時はヘルツではなくサイクル-Kcと称した
- ^ 以上、C3Iにの説明つは主にカール・ソルバーグ『決断と異議』に拠った
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