カンパニー (競走馬)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/08 14:58 UTC 版)
戦績
3 - 6歳
2004年、3歳の時にデビュー。デビュー戦となった同年1月17日の京都第5競走(新馬戦)を勝利で飾ると、きさらぎ賞7着の後に2連勝しオープンクラスに上がる。ラジオたんぱ賞でも2着に食い込み、秋でも古馬相手に京阪杯で2着になるなどの活躍を見せた。
2005年、4歳になって初戦の中山記念を2着と好走。その後3戦は惨敗続きで勝ち星を挙げる事ができなかったが、前年惜敗した京阪杯を1番人気で制して悲願の重賞初勝利を挙げ、この年を終えた。
2006年、5歳になると初戦の中山記念を4着と良いスタートではなかったものの、産経大阪杯を制し重賞2勝目を挙げる。しかしその後4戦は展開不向きやレース中の不利続きでこの年は1勝しかできなかった。
6歳になった2007年、休み明けの関屋記念を圧勝し重賞3勝目を挙げ、8月30日に発表された重賞・オープン特別競走レーティングでは111ポンドの評価が与えられた。その後は天皇賞(秋)に出走。道中は中団に位置し、直線では馬群の間を割って伸びてきたが不利を受け3着に敗れた。なお第1希望で香港カップ、第2希望で香港マイルに予備登録を行っていたが回避しマイルチャンピオンシップに3番人気出走したがメンバー最速の上がり3ハロンのタイム、33.7秒で走ったものの5着に敗れた。
7歳
2008年、7歳の初戦は東京新聞杯に出走するも4着に敗れた。続く中山記念、マイラーズカップでは鞍上に横山典弘を迎えそれまでの追い込み策から先行策に脚質転換し重賞連勝を飾った。マイラーズカップ後はグリーンウッドに短期放牧に出され、5月25日に帰厩した。次走は安田記念への出走登録を行っていたが6月1日の朝に目に外傷を負ったことが判明したために万全の状態で出走できないと陣営が判断し、安田記念を回避することが同日発表された。
秋の始動は毎日王冠から。しかし放牧から帰ってきた際に大幅に体重を落としていたことで調整に苦慮し、結果は2年前と同じ5着に敗れた。その後は予定通り天皇賞(秋)に出走。近走の戦績不振や7歳という年齢もあり11番人気と低評価であった。レースではスタートで行き脚がつかなかった為、道中最後方からの追い込み策をとる。4コーナーからは馬群を縫って猛追し決勝線手前では勝ち馬ウオッカらに迫る勢いを見せるも及ばず4着に敗れた。しかし走破時計はレースレコードと同タイム(1分57秒2)、上がり3ハロンはメンバー中最速の33.5秒と健在ぶりをアピールした。その後、マイルチャンピオンシップに出走したが4着に終わった。
8歳
2009年、3月1日の中山記念に出走、小雨が降る中、キングストレイルをゴール前で抜き、ドリームジャーニーの追走を抑えて前年に続く2年連続優勝。その後、連覇をかけてマイラーズカップに出走。後方からレースを進め、直線で猛追するも届かず2着となり、惜しくも連覇はならなかった。そして、本番の安田記念では後方からレースを進めたが、先頭を捉えるまでには至らず人気通りの4着に終わった。続く第50回宝塚記念では横山がスクリーンヒーローに騎乗するため岩田康誠にテン乗りとなった。レースでは先行したものの、最後の直線で伸び切れず4着に敗れた。
秋の始動は2008年と同様に毎日王冠から。ただし前年と異なり放牧先から体調を崩して戻って来ることはなく調整は順調に進み、当日の馬体重は宝塚記念時よりマイナス4キロで出走となった。レースでは逃げるウオッカをマークする格好で内ラチ沿いを進む。直線を向きスパートを開始すると上がり3ハロン33.0秒の末脚を繰り出し、逃げ粘るウオッカをゴール前で交わして重賞7勝目となる勝利を挙げた。秋2戦目は11月1日の天皇賞(秋)に出走となった。レースでは道中は中団につけ第4コーナーで7番手ぐらいの位置から差をつめ、残り1ハロンで先頭に立つとそのままゴールイン。重賞8勝目にして初のGI競走制覇を果たした。8歳馬による平地GI競走制覇はJRAでは史上初となった[5]。
音無調教師は有馬記念や香港国際競走を最後のレースにすることを馬主の近藤に提言したが、近藤は潔く引退させることを希望したため[7]、11月22日にマイルチャンピオンシップを最後に引退し、翌年から種牡馬入りすることが発表された[8]。繋養先は社台スタリオンステーション[8]。現役最終レースのマイルチャンピオンシップは馬場の中央から抜け出して先頭に立つと追うマイネルファルケを1馬身半抑えて優勝、GI2勝目を挙げ有終の美を飾った。
8歳馬として史上初の平地競走のGI制覇を評価され、JRA賞特別賞を受賞した[9]。
カンパニーの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ゼダーン系 |
[§ 2] | ||
父 ミラクルアドマイヤ 1995 鹿毛 |
父の父 *トニービンTony Bin 1983 鹿毛 |
*カンパラ | Kalamoun | |
State Pension | ||||
Severn Bridge | Hornbeam | |||
Priddy Fair | ||||
父の母 *バレークイーンBallet Queen 1988 鹿毛 |
Sadler's Wells | Northern Dancer | ||
Fairy Bridge | ||||
Sun Princess | イングリッシュプリンス | |||
Sunny Valley | ||||
母 ブリリアントベリー 1990 栗毛 |
*ノーザンテースト Northern Taste 1971 栗毛 |
Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
Lady Victoria | Victoria Park | |||
Lady Angela | ||||
母の母 *クラフティワイフCrafty Wife 1985 栗毛 |
Crafty Prospector | Mr. Prospector | ||
Real Crafty Lady | ||||
Wife Mistress | Secretariat | |||
Political Payoff F-No.9-a | ||||
母系(F-No.) | 9号族(FN:9-a) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Northern Dancer3×4、Lady Angela4×5、Hyperion5×5 | [§ 4] | ||
出典 |
- ^ “カンパニー、競走馬登録を抹消”. ラジオNIKKEI. 2022年4月16日閲覧。
- ^ “The 2007 World Thouroughbred Racehorse Rankings”. IFHA. 2021年7月25日閲覧。
- ^ “The 2008 World Thouroughbred Rankings”. IFHA. 2021年7月25日閲覧。
- ^ “The 2009 World Thouroughbred Rankings”. IFHA. 2021年7月25日閲覧。
- ^ a b “8歳馬のGI制覇は史上初/天皇賞・秋アラカルト”. netkeiba (2009年11月1日). 2009年11月1日閲覧。
- ^ 『優駿』2010年3月号、71頁。
- ^ 『優駿』2010年1月号、72頁。
- ^ a b “カンパニーはマイルCSで引退、種牡馬入り”. netkeiba (2009年11月12日). 2009年11月12日閲覧。
- ^ “2009年JRA賞各部門の選考経過、投票結果~カンパニーに特別賞”. ラジオNIKKEI (2010年1月6日). 2015年10月6日閲覧。
- ^ “カンパニーがブリーダーズ・スタリオン・ステーションに移動”. 競走馬のふるさと案内所 (2014年12月12日). 2015年10月6日閲覧。
- ^ a b “カンパニーが熊本に移動”. 競走馬のふるさと案内所 (2015年10月2日). 2015年10月6日閲覧。
- ^ “伏兵ウインテンダネスがV カンパニー産駒JRA重賞初制覇/目黒記念”. netkeiba.com (2018年5月27日). 2018年5月28日閲覧。
- ^ “カンパニー腎不全で死んでいた 音無師「残念」|極ウマ・プレミアム”. p.nikkansports.com. 2019年1月10日閲覧。
- ^ “ポップレーベル”. JBISサーチ. 2018年5月28日閲覧。
- ^ “ヤマノミラクル”. JBISサーチ. 2018年5月28日閲覧。
- ^ “ウインテンダネス”. JBISサーチ. 2018年5月28日閲覧。
- ^ a b c JBISサーチ カンパニー 5代血統表 2017年8月29日閲覧。
- ^ netkeiba.com カンパニー 5代血統表 2017年8月29日閲覧。
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