アグアテカ 古典期マヤ文明の崩壊

アグアテカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/03 23:51 UTC 版)

古典期マヤ文明の崩壊

古典期マヤ文明に崩壊をもたらした原因は未だに分かっていないが、ドス・ピラス、アグアテカ、セイバルといったペテシュバトゥン盆地の主要な遺跡は、その原因を物語る多くの証拠が残されている。アグアテカが王朝末期に防御壁を都市の周囲に築いていたことは前述の通りだが、この防御壁は同時期のペテシュバトゥン盆地の遺跡でもみられることである。王家に放棄されたドス・ピラスも一部の住民が居住し、神殿ピラミッドの外材を用いて二重の防御壁を築き、その中の住居で生活していた。その防御壁の間では、殺戮されたと考えられる遺体や武器が発見されており、9世紀前半には完全に放棄された。人口の過剰や自然破壊など様々な要因が挙げられているが、古典期諸都市が繁栄していた時期は高位の捕虜を捕らえるために行われていた都市間の戦争が、古典期末期には殲滅戦の様相をなしていたと推測されている。

参考文献

外部リンク




  1. ^ ただし、セイバルがアグアテカを支配していた証拠は見つかっていない。
  2. ^ 古典期前期におけるペテシュバトゥン盆地の中心都市は、タマリンディートとアロヨ・デ・ピエドラである。
  3. ^ コパンを除く、他の古典期の都市より建造物の密度が高い
  4. ^ タマリンディートの神聖文字の階段には、761年、ドス・ピラスの王が退去し、その7日後タマリンディートが何者かに攻撃を受けたことが記されている。
  5. ^ タン・テ・キニチ(Tan Te K'inich、支配者5)の時代
  6. ^ 他のペテシュバトゥン盆地の遺跡でも同様の防御壁が建築されている
  7. ^ 紀元830年以降、外部からの侵入者によってセイバルが復興された形跡が残っている
  8. ^ マヤ地域において建設途中で放置された神殿ピラミッドは珍しいケースである。


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