さびしんぼう (映画)
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ストーリー
カメラを趣味とする高校生の井上ヒロキは坂の上から望遠レンズのファインダー越しに女子高校を眺めていた。偶然その時に放課後に音楽室でピアノを弾く一人の美少女(橘百合子)を見付ける。彼女を「さびしんぼう」と名付けるが、手の届かない憧れの存在であった。そんなある日、友人ふたりと共に家である寺の本堂を掃除したのだが、母の古い写真の束をうっかり散乱させてしまう。その直後、ヒロキの前に突然、ピエロのような白塗りメイクとオーバーオールの奇妙な少女が突然現れて、何処へともなく消え去る。そんな彼女がヒロキに名乗った名前も「さびしんぼう」なのであった。
ある日のこと、百合子は通学の自転車が壊れ難儀していた。それを助けたことをきっかけに、ヒロキは憧れの君である「さびしんぼう」とも知り合うことが出来た。
ふたりの「さびしんぼう」とヒロキが尾道の町を舞台に織り成す、懐かしくも悲しい初恋の物語である。
ショパンの『別れの歌』
大林監督は尾道の少年時代に映画『別れの曲』に感銘を受け、ショパンの「別れの曲」を練習するようになった[9]。映画『さびしんぼう』の中では、橘百合子の得意曲として、また井上ヒロキが母親からせがまれて練習させられる曲として、しばしば登場する。エンディングクレジットでは、軽快に編曲されたものが富田靖子によって歌われ、映画をしめくくる(DVDには監督の希望で劇場用とはちがうインストゥルメンタルによるオリジナルエンディングが収録されているが、劇場版に差し替えることも可能になっている)。
原作との関係
原作『なんだかへんて子』は、小学4年生の主人公井上ヒロキと神出鬼没の謎の少女「へんて子」、そしてヒロキの母親の3者が繰り広げるドタバタを描いた児童文学であり、恋愛の要素は全くない。ピアノを弾く美少女に相当するキャラクターも原作には登場しない。
いくつかの設定は原作に基づいてはいるが、映画『さびしんぼう』を構成する要素のほとんどは大林宣彦のオリジナルであり、原作というよりは原案に近い。
製作
企画・脚本
最初は『母の初恋』というタイトルでヒロキの母・藤田弓子を主役に映画化しようと考えていたと、と大林は話している[4]。前述のように「富田靖子の高校の冬休みを使って映画を撮影しませんか?」との申し出を受け、橘百合子を創造ー造形しようと考えた時に、『なんだかへんて子』を"さびしんぼう"という心の象徴にすればいいというアイデアを思い付いた[4]。その企画を持って尾道に立ち寄り、行きつけの喫茶店「TOM」で尾道を訪ねて来たファンのノートを見ていたら、ノートに"尾道三部作が見たい"という言葉がいっぱい書かれていて、そのときに大林も初めて、もう一本撮れば"尾道三部作"になるんだな、と気付き、『さびしんぼう』を尾道で撮って"三部作"にしようと決意した[6]。そのときは富田の冬休みの二週間前で、新たにシナリオを起こす時間がなく、山中恒に教えてもらっていた『なんだかへんて子』なら『さびしんぼう』にできるなと思い、これを軸にしてシナリオを書いた[6]。
大林によれば"尾道三部作"は、『転校生』と『さびしんぼう』が裏表で、二本は二卵性双生児の関係にあり、『時をかける少女』は番外編[4]。最初から『転校生』と『さびしんぼう』はいわゆるSFX的なオプチカル処理は全く使わないと決めていた[4]。『転校生』と『さびしんぼう』も当初の剣持脚本はどちらもSF的な要素が書き込まれていたが[4]、それらは大林が全部切ったという[4]。大林は檀一雄の『花筐』で商業映画デビューの可能性もあったが『HOUSE ハウス』でデビューになった。「それも当時の映画状況を考えると大きな意味があったと思う」と話しているが[4]、『花筐』は結局最後に撮ったが、もう撮らないかもしれない『花筐』の弔い合戦のつもりで『さびしんぼう』と『廃市』を撮った」と1984年5月のインタビューで話していた[4]。
キャスティング
尾美としのりの18本を凌ぐ計27本の大林作品に出演した根岸季衣は、本作には当初出演の予定はなかった[10]。しかし人からシナリオを借りて読んでボロボロ泣いた。シナリオを読んで号泣したのは初めての経験で、大林に「何でもいいから役を下さい」と頼み、ヒロキの同級生の母親役として出演した[10]。
撮影
尾美がピアノを弾くシーンは、二人羽織のように大林が後ろから手を出してピアノを弾いた[11]。
"さびしんぼう"のオーバーオールは、富田が衣装合わせに着てきた自前の服を大林が気に入り、アレンジして作られた[12][13]。富田は当時出した写真集にさびしんぼうと同じ格好をしたショットがあったと回想している。
ヒロキと"さびしんぼう"が抱き合って、"さびしんぼう"が消える雨のシーンは真冬に消防車で雨を降らせて撮影した[14]。木から氷柱が垂れるくらい寒い日で、富田と尾美のセーターから人間の体温による湯気が出た。衣装の下にはウェットスーツを着用、ワンカット毎に石段の上に設置した焚き火で暖を取りながら、夜中三時まで雨に濡れる撮影が続けられた。撮影後、尾美は西願寺の五右衛門風呂に飛んで入ったという[14]。
富田は1996年のインタビューで、「『さびしんぼう』は心地よいことばで描かれている作品だと思います。映画の中には、金切り声で話したり、きれいとは言えないことばも出てきます。しかし、それさえも心地よく感じてしまうのです。作品いっぱいに、そういう空気が広がっているからです。この空気は、スクリーンに出ている人達のではなく、大林宣彦という一人の人間の空気ではないでしょうか。だから、演じる人間はいつも自由でいられるのかもしれません。監督が役者とお芝居について議論しているのを見たことはありません。何だか海を見ているような感じの撮影だったような気がします(でも撮影スケジュールは大変なのですよ…)。もう一つ、印象的だったのは、握手した時の大きな手と、私を呼ぶ時に『とみたくん』または『やすこくん』と呼ばれたことです(後に『姉妹坂』で、沢口靖子さんと同じ名前だったので"ちびやす"に変更になりました)。15歳の女の子に"くん"をつけることはめったにないと思うのです。当時私は『やすこちゃん』と呼ばれることが多かったので『とみたくん』という響きが、子供としてではなく一人の女優として呼ばれているっていう感じがしました。早く大人になりたい、対等にいコミュニケーションをとりたいと、強く思っていた私にとって、大きな喜びであり、『自分は女優なんだ』と初めて自覚しました。あれから何度も大林監督にお会いしていますが、大林監督は何年経っても大林監督でした。考えてみると、大林監督とお話ししていて、傷ついたり、嫌だなぁーと思ったことが一度もないのです。これって凄いことだと思いませんか?大林監督は奈良の大仏のような人だぁー」などと述べている[15]。
デビュー当時を振りかえり、「大林監督も『BU・SU』の市川準監督も優しい方で、私自身はあまり何も考えずに好きに演じていたような気がします。大林監督は、どんな時も好きに演じさせてくれていて、いつの間にか映画になっている感じがしていました。おかげで芝居をしているという感覚が当時はなかったです。自分の年齢がまだ若かったせいもあると思いますが‥‥。『転校生』は私も大好きです。(『尾道三部作』と称される)作品に自分が出演できたことが本当に『ありがたい』と思うと共に芝居をした感覚もなく『あっと言う間に映画になっている』というあの特有な感覚が懐かしいです。それこそ、10代のあの時にしかできなかったことを監督たちが上手く救ってくれて、スクリーン(映像)に残してくれたことに感謝しかありません。今は色々なことを覚えてしまい、あの時のような芝居はもう出来ないですから」などと述べている[16]。
商店街で撮影されたシーンでは大森一樹監督が妻子と共に家族三人でカメオ出演している。
- ^ 磯田勉「富田靖子 グッドバイさびしんぼう ある女優の軌跡」『別冊映画秘宝VOL.2 アイドル映画30年史』洋泉社、2003年
- ^ モリタタダシ「ノスタルジーを喚起させる装置・尾道」『別冊映画秘宝VOL.2 アイドル映画30年史』洋泉社、2003年。
- ^ a b c キネマ旬報、1985年4月下旬号、p.67
- ^ a b c d e f g h i j k l m #シネアルバム120、「大林宣彦のロングトーキング・ワールド」 インタビュアー・野村正昭 ※インタビュー日、1984年5月3–4日、大林宅、1986年9月10日、9月27日、観音崎京急ホテル(ラビスタ観音崎テラス) pp.64–129
- ^ #読本、280-281頁
- ^ a b c #ワンダーランド、p.172-173
- ^ 『ぼくの映画人生』p.119-121,130,161,164-165
- ^ 『ぼくの映画人生』p.203
- ^ 『ぼくの映画人生』pp.45-46.
- ^ a b #総特集、74–77頁
- ^ #総特集、64–65頁
- ^ #ユリイカ総特集、渡辺武信「映画少年魂の開花とその持続」62–69頁
- ^ #movie、78頁
- ^ a b #ワールド、57頁
- ^ 大林宣彦「富田靖子インタビュー 『大林監督は奈良の大仏のような人』」『4/9秒の言葉―4/9秒の暗闇+5/9秒の映像=映画』創拓社、1996年、91–101頁。ISBN 4871382184。
- ^ 富田靖子インタビュー 長きに渡り多くの人に愛される 笑いあり涙ありの『映画 めんたいぴりり〜パンジーの花』
- ^ “おのなび”. 尾道観光協会 (2020年). 2020年7月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月11日閲覧。27–28、34–35頁
- ^ “尾道・大林宣彦を訪ねる旅――『時をかける少女』『さびしんぼう』…いまも残る大林映画の“聖地”をめぐる”. MOVIE WALKER PRESS. 株式会社ムービーウォーカー (2020年8月8日). 2020年8月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月11日閲覧。
- ^ 福本渡船 | るるぶ&more.
- ^ a b c d #読本、250-261頁
- ^ “大林の古里 熱い後押し<中>転校生”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2014年9月25日). オリジナルの2014年11月2日時点におけるアーカイブ。 2021年9月7日閲覧。
- ^ “なんと!まさかの女優“富田靖子”さんが参戦!!「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」”. テレビ東京. (2019年11月19日). オリジナルの2020年3月28日時点におけるアーカイブ。 2020年10月11日閲覧。
- ^ 「荻野目洋子 夢の続きでまた会おうよ 私の尾道ウォーキング・マップ」『月刊明星』1988年7月号、集英社、47 - 49頁。
- ^ 「CINERAN」『プレイガイドジャーナル』1986年3月号、プレイガイドジャーナル社、48頁。
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