PC市場での RDRAM のマーケティング
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「RDRAM」の記事における「PC市場での RDRAM のマーケティング」の解説
1996年11月、ラムバスはインテルとの開発およびライセンス契約を結んだ。DDR SDRAMと比較した場合のRDRAMの優位性を認識し、インテルはWintelの開発コミュニティに対し、自社のマイクロプロセッサにラムバスメモリインターフェイスのみサポートする声明を発表し、インテルはラムバス株を100万株、一株10ドルで購入する権利を与えられた。 1998年、インテルはDirect RDRAMの導入を加速させるため、5億ドルの資本投資をマイクロン・テクノロジに対して行うことを計画した。そのほかの投資として、1999年のサムスン電子への1億ドルの支払いなどがある。 移行の戦略として、インテルは将来的にIntel 82xチップセットでMemory Transfer Hub (MTH) を用いPC-133 SDRAM DIMMをサポートすることを計画した。2000年、インテルはMTHの搭載されたIntel 820マザーボードをリコールした。MTHは同時スイッチングを行う際、不明の理由で停止したり、突発的に再起動させる電気的なノイズを発生させたためである。これ以降、Intel 820のマザーボードがMTHを搭載することはなかった。 2000年、インテルはリテールのPentium 4 CPUに2枚のRIMMをセットにして販売し、RDRAMを援助した。しかし、インテルはその翌年の2001年から徐々にラムバスへの支援を打ち切り始めた。 2003年、インテルはIntel 865およびIntel 875チップセットを発表し、ハイエンドチップセットとしてIntel 850を置き換える製品として位置づけた。さらに、将来のメモリのロードマップにはラムバスは含まれていなかった。 RDRAMを生産するライセンスを取得したDRAM製造会社はほとんどなく、技術ライセンスを取得した会社もPCマーケットの需要を満たすだけのRIMMを生産することに失敗し、メモリが高騰した2002年ですらRIMMがSDRAM DIMMより高い価格設定となった。RDRAMが下降線をたどる中、DDRはスピードの面で発展し続け、しかも、RDRAMより安価であった。当時、DDR SDRAMで繰り広げられた大規模な価格競争により、DDR SDRAMは製造原価かそれ以下で販売された。RDRAMのサプライヤが一枚一枚のモジュールごとに良い利益を出す一方、DDR SDRAMのメーカーは大規模な損失を出した。現在でも生産されてはいるが、RDRAMをサポートするマザーボードはほとんどない。2002年から2005年の間、RDRAMの市場シェアが5%を超えることは一度もなかった。 2004年には、インフィニオン、ハイニックス、サムスン、マイクロン、エルピーダが2001年に固定価格への操作を行ったことが明らかになった。問題の企業は犯行を認め、後に罰金を科された。価格操作の目標は、不公平な市場戦略によりRDRAMを市場から抹殺するためであった。複数のメモリ製造企業が罪状を認め、ラムバスに数100万ドルの支払いを行った。
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