MAUD委員会とは? わかりやすく解説

MAUD委員会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/11 06:21 UTC 版)

MAUD委員会(モードいいんかい、MAUD Committee)は第二次世界大戦中のイギリス原子爆弾の可能性を探るために設けられた科学者からなる委員会である。 1941年に委員会はウラン濃縮とそれによるウラン爆弾が技術的に可能だとする報告を提出し、これがアメリカ政府に伝えられて原爆開発計画の直接の開始要因となった。


  1. ^ Ian Hore-Lacy ed.(2016)."Uranium for Nuclear Power: Resources, Mining and Transformation to Fuel". Cambridge: Woodhead Publishing Limited. 2016年8月17日閲覧
  2. ^ マンハッタン計画 (16-03-01-09)”. 原子力百科事典 ATOMICA. 財団法人 高度情報科学技術研究機構 (2001年2月). 2010年9月14日閲覧。
  3. ^ Britain’s Early Input - 1940-41”. Atomic Heritage Foundation. 2020年8月7日閲覧。
  4. ^ The MAUD Report (1941)”. Office of Scientific and Technical Information, U.S. Department of Energy. The Manhattan Project: An Interactive History. 2020年8月7日閲覧。
  5. ^ ローズ 上 pp.437–461,465 (Rhodes pp.251–264).
  6. ^ Meitner, Lise and O.R. Frisch (1939). “Disintegration of uranium by neutrons: a new type of nuclear reaction”. Nature 143: 239–240. doi:10.1038/143239a0. 
    Meitner, Lise and O.R. Frisch (1939). “Products of the fission of the uranium nucleus”. Nature 143: 471–472. doi:10.1038/143471a0. 
  7. ^ ローズ 上 pp.507–514 (Rhodes pp.288–292).
  8. ^ Anderson, H.L., E. Fermi, and H.B. Hanstein (1939). “Production of neutrons in uranium bombarded by neutrons”. Physical Review 55: 797–798. doi:10.1103/PhysRev.55.797.2. 
    Szilard, Leo and Walter H. Zinn (1939). “Instantaneous emission of fast neutrons in the interaction of slow neutrons with uranium”. Physical Review 55: 799–800. doi:10.1103/PhysRev.55.799. 
    von Halben, H., F. Joliot, and Lew Kowarski (1939). “Liberation of neutrons in the nuclear explosion of uranium”. Nature 143: 470–472. doi:10.1038/143470a0. 
    von Halben, H., F. Joliot, and Lew Kowarski (1939). “Number of neutrons liberated in the nuclear explosion of uranium”. Nature 143: 680. doi:10.1038/143680a0. 
  9. ^ ローズ 上 pp.501–507 (Rhodes pp.284–288).
  10. ^ Bohr, N. (1939). “Resonance in uranium and thorium disintegrations and the phenomenon of nuclear fission”. Physical Review 55: 418–419. doi:10.1103/PhysRev.55.418.2. 
  11. ^ ローズ 上 p.518 (Rhodes p.294), 引用は原書より訳出。
  12. ^ ローズ 上 pp.564–565 (Rhodes p.320).
  13. ^ ローズ 上 pp.565–567 (Rhodes p.321).
  14. ^ Peierls, R. (1939). “Critical conditions in neutron multiplication”. Proceedings of the Cambridge Philosophical Society 35: 610–615. doi:10.1017/S030500410002137X. 
  15. ^ ローズ 上 pp.567–570 (Rhodes pp.322–323).
  16. ^ ローズ 上 pp.570–572 (Rhodes pp.324–325).
  17. ^ Frisch-Peierls Memorandum, March 1940: On the Construction of a ‘Super-bomb’ based on a Nuclear Chain Reaction in Uranium”. The Nuclear Age Begins, Historical Documents. Atomic Archive. 2010年9月11日閲覧。
    Frisch-Peierls Memorandum, March 1940: Memorandum on the Properties of a Radioactive ‘Super-bomb’”. The Nuclear Age Begins, Historical Documents. Atomic Archive. 2010年9月11日閲覧。 引用部は原文より訳出。
  18. ^ ローズ 上 p.572 (Rhodes p.325).
  19. ^ ローズ 上 p.579 (Rhodes pp.329–330).
  20. ^ ローズ 上 pp.579–581 (Rhodes pp.330–331). Szasz p.5.
  21. ^ ローズ 上 pp.596–597 (Rhodes p.339).
  22. ^ ローズ 上 pp.597–599 (Rhodes pp.339–340).
  23. ^ ローズ 上 p.603 (Rhodes p.343).
  24. ^ ローズ 上 pp.623,625 (Rhodes pp.355–356).
  25. ^ ローズ 上 p.625 (Rhodes p.356), 引用部は原書より訳出。
  26. ^ ローズ 上 pp.627–628,630–631 (Rhodes pp.357–360).
  27. ^ ローズ 上 pp.635–636 (Rhodes pp.362–363).
  28. ^ ローズ 上 pp.639–640 (Rhodes pp.364–365), 引用部は原書より訳出。
  29. ^ ローズ 上 pp.640–644 (Rhodes pp.365–367).
  30. ^ ローズ 上 pp.645–646 (Rhodes pp.368–369).
  31. ^ The MAUD Report, 1941: Report by MAUD Committee on the Use of Uranium for a Bomb”. The Nuclear Age Begins, Historical Documents. Atomic Archive. 2010年9月12日閲覧。 引用部は原文より訳出。
  32. ^ Szasz p.6.
  33. ^ ローズ 上 pp.651–654 (Rhodes pp.372–374), 引用部は原書より訳出。
  34. ^ ローズ 上 pp.661–663,676–678, 下 pp.8–10 (Rhodes pp.377–379,386–387,397–398).
  35. ^ ローズ 下 pp.213–215 (Rhodes pp.522–523).
  36. ^ ローズ 下 p.580 (Rhodes pp.735–736), 引用部は原書より訳出。
  37. ^ Szasz p.5.
  38. ^ ローズ 上 pp.651–652 (Rhodes p.372), 引用部は原書より訳出。
    ウィアート、S・R、G・W・シラード 編『シラードの証言 — 核開発の回想と資料 1930–1945年』伏見康治、伏見諭 訳、みすず書房、1982年、p.189頁。ISBN 4-622-02430-6 
  39. ^ Szasz pp.5–6.
  40. ^ ローズ 上 p.599 (Rhodes pp.340–341).
  41. ^ Smith, Joan (1985). Clouds of Deceit: Deadly Legacy of Britain’s Bomb Tests. Faber & Faber. ISBN 9780571136292 ; (2011, eBook version) ISBN 9781448207862 Bloomsbury Reader


「MAUD委員会」の続きの解説一覧

MAUD委員会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/12 00:07 UTC 版)

S-1ウラン委員会」の記事における「MAUD委員会」の解説

イングランドではバーミンガム大学二人研究者オットー・ロベルト・フリッシュルドルフ・パイエルスが、1940年3月フリッシュパイエルス備忘録英語版)を発表した。この備忘録は船で運ぶ必要のある大量ウラン235爆弾製造に必要である状態が一般に考えられていることに反論した備忘録見積もりは、爆弾ウラン235が僅か1ポンドあれば足り飛行機運搬することが可能であるとした。 フリッシュとパイエルスの師であるマーク・オリファントは、MAUD委員会が密かに設置されるべきだと要請する空軍科学研究委員会英語版議長ヘンリー・ティザード(英語版)に備忘録手渡した(「MAUD」は「ウラン爆発軍事応用」のこと)。最初会合は、1940年4月10日にあり、委員会議長ジョージ・パジェット・トムソン委員マーク・オリファントパトリック・ブラケットジェームズ・チャドウィック、フィリップ・バートン・ムーン(英語版)、ジョン・コッククロフト構成された。ラルフ・H・ファウラー英語版)もライマン・ブリッグスに状況報告を送るよう要請された。 MAUD委員会は1941年7月15日MAUD報告書完成し解散した報告書2章からなっていた。第1章ウラン235爆弾トリニトロトルエンTNT1800トン匹敵する核出力放射性金属26ポンド用いることで引き合う主張している。第2章管理されウラン235核分裂機械放射性同位元素の元を強化するための熱エネルギーの物となり得る主張している。 1941年4月14日、ライマン・ブリッグスはユージン・ウィグナーメモ受け取り、そこにはこう書かれていた。 数日前ベルリンからリスボン経て到着した同僚次の伝言を齎したことは、興味深いことかも知れません。技術研究所で働く信頼できる同僚が、大量ドイツ人物理学者ハイゼンベルクの下でウラン爆弾問題に関して集中して働きハイゼンベルク自身最悪結果恐れて可能な限り作業を引き延ばそうとしていると知らせるよう依頼しました。しかし与えられ命令完遂せざるを得ず問題解決されれば、近い将来解決される可能性あります。その為にアメリカ合衆国が遅れを取らないように助言与えられました。 一方ヴァネヴァー・ブッシュ指揮するNDRCでは平和的なエネルギー原子力用い可能性探索していた。アーサー・コンプトン米国科学アカデミー好都合な報告書1941年5月17日発表されルーズベルトとの協議後にブッシュ科学研究発展局(英語版)を創設した1941年7月1日ブッシュあらゆる核分裂研究統括することになり、諮問委員会NDRCS-1計画となったマーク・オリファント1941年8月イングランドからアメリカ合衆国ブリッグス委員会明らかにMAUD報告書無視している理由見出しに来た。オリファントブリッグス直接送られ報告書などの文書諮問委員会共有されていない幻滅至った当時オリファントは緊急であることを告げウラン委員会同僚アーネスト・ローレンスジェームス・コナントエンリコ・フェルミ会った一連の会談オリファント確信をもって爆弾」について語りイギリス計画請け負え資源がないのでアメリカ合衆国依存していると表明した

※この「MAUD委員会」の解説は、「S-1ウラン委員会」の解説の一部です。
「MAUD委員会」を含む「S-1ウラン委員会」の記事については、「S-1ウラン委員会」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「MAUD委員会」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「MAUD委員会」の関連用語

MAUD委員会のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



MAUD委員会のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのMAUD委員会 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、WikipediaのS-1ウラン委員会 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS