JAM JAM 11
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/01 14:09 UTC 版)
JAM JAM 11 | |
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ジャンル | 音楽番組 バラエティ番組など |
放送期間 | 1978年10月2日 - 1980年4月4日 |
放送時間 | 月曜 - 金曜 23:00 - 25:00 |
放送局 | ラジオ大阪 |
制作 | ラジオ大阪 |
パーソナリティ | #パーソナリティの節を参照 |
JAM JAM 11(ジャムジャムイレブン)は、1978年10月2日から1980年4月4日まで、ラジオ大阪で放送されていたワイドラジオ番組。
放送時間は月曜日から金曜日までの23:00 - 25:00。夜11時スタートだったため、タイトルに「11」が付いている。
概要
本番組の前番組『青春最前線 ドキドキラガジン』は、更にその前番組『星空にうたおう 青春最前線』から続く、当時のニューミュージックを選曲に重視した音楽指向の路線の番組だったが、本番組からは同じ音楽指向でもロックを重視した路線の番組としてスタート[1]。
1979年7月28日と7月29日の両日には、本番組発のイベント・コンサートとして『'79 JAM JAM SUPER ROCK FESTIVAL』を万博記念公園にて開催。約2万人を動員し、これについて当時のスポーツニッポンに「ラジオの音楽番組制作にかける意地を示した」と評された[2]。
しかし結果的には、当時同じ時間帯で放送されて近畿広域圏における裏番組であった『MBSヤングタウン』(MBSラジオ)、『ABCヤングリクエスト』(ABCラジオ)に対し不振[1]。1980年4月の改編に合わせて放送時間を1時間30分繰り上げて[注釈 1]21:30 - 23:30とし、『JAM JAM OSAKA』としてリニューアルした。なお『JAM JAM OSAKA』へは阿藤海、桑名晴子、宇崎竜童、アン・ルイスが続投している。
のちにFM802に転職した栗花落光(現・FM802会長)がスタッフとして関わっていた[3]。
パーソナリティ・レギュラー出演者
1978年10月 - 1979年3月
1979年4月 - 1980年4月
主なコーナー
- JAM JAM ルーレット
- JAM JAM ブラックジャック
脚注
注釈
出典
ラジオ大阪 平日夜ワイド枠 (1978年10月 - 1980年4月) | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
青春最前線 ドキドキラガジン (23:00 - 25:00) | JAM JAM 11 | JAM JAM OSAKA (21:30 - 23:30) |
ラジオ大阪 月 - 金 23:00 - 25:00 枠 (1978年10月 - 1980年4月) | ||
青春最前線 ドキドキラガジン | JAM JAM 11 | JAM JAM OSAKA (21:30 - 23:30) ミュージック・イン・ハイフォニック (23:30 - 24:00) 山本コウタローのライオン・フォーク・ビレッジ (24:00 - 24:15) ザ・バラエティ (24:15 - 24:30) 青春キャンパス (24:30 - 25:00) |
「JAM JAM 11」の例文・使い方・用例・文例
- 海洋研究開発機構(JAMSTEC)や東京工業大学などの団体からなる研究チームが三陸の東方800キロで3つの海底火山を調査した。
- 海洋研究開発機構(JAMSTEC)やいくつかの大学の研究者の共同チームは,地球上の全海洋生物種の約7分の1が日本にいることを発見した。
- JAMSTECの藤(ふじ)倉(くら)克(かつ)則(のり)博士は「日本に多様な海洋生物が存在するのは,日本近海にはさまざまな潮流や水温があり,干潟などの地形にも恵まれているからだろう。」と話した。
- 海洋研究開発機構(JAMSTEC)はこの計画に深海掘削船「ちきゅう」を使用している。
- 海洋研究開発機構(JAMSTEC)は,有人潜水調査船「しんかい2000」を神奈川県藤(ふじ)沢(さわ)市(し)にある新江(え)ノ(の)島(しま)水族館に貸し出すことを決めた。
- 3, 4, 11の平均は6です
- 115
- アメリカのすべての都市では緊急時には911に電話する
- スミス先生は9時から11時まで来診を受け付けます
- 彼の部屋番号は1411です
- 11ページに
- 11は2で割り切れない
- 今11時10分です
- 第11章
- 5月11日に
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