4代目桃井春蔵を継承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 08:50 UTC 版)
23歳で皆伝、25歳で奥伝を得て、嘉永5年(1852年)、27歳で士学館4代目桃井春蔵を継いだ。4代目で士学館道場は栄え、後に斎藤弥九郎の練兵館(神道無念流)、千葉周作の玄武館(北辰一刀流)と並んで幕末江戸三大道場の一つに数えられる。「位は桃井、技は千葉、力は斎藤」といわれた。 安政3年(1856年)、土佐から武市瑞山が岡田以蔵らを伴い江戸に出て、士学館に入門する。春蔵は武市の腕前と人物を高く評価して、塾頭に任じた。 文久2年(1862年)、幕府から与力格二百俵に登用され幕臣となり、翌年には講武所剣術教授方出役に任じられる。 慶応元年(1865年)12月暮、稽古納めを終えた春蔵と高弟8人が市谷田町を歩いていると、新徴組の隊列と出くわした。隊士たちが「(道の)片側に寄れ、もっと寄れ」と凄んだため、高弟のひとり上田馬之助が怒ると、隊士たちが抜刀し、あわや斬り合いになりかけた。そこで春蔵が「私は公儀与力・講武所教授方桃井春蔵という者、ここにいるのは士学館の弟子である。ご希望ならばお相手する」と言うと、新徴組が謝罪して喧嘩は収まった。
※この「4代目桃井春蔵を継承」の解説は、「桃井春蔵」の解説の一部です。
「4代目桃井春蔵を継承」を含む「桃井春蔵」の記事については、「桃井春蔵」の概要を参照ください。
- 4代目桃井春蔵を継承のページへのリンク