2度目の廃止
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しかし、1950年(昭和25年)に川汲山道(現在の川汲峠)が開通して函館に直通できることで状況が変わってきた。同年6月に函館バスが川汲山道を通るバス路線の営業を開始したことにより旅客数は減少し、トラック業者も川汲山道を利用することになり貨物も打撃を受けた。1951年(昭和26年)5月に始めた大沼遊覧船も失敗し、さらにこの時期の人件費の高騰も経営を圧迫した。同年6月には五稜郭駅 - 戸井駅間の国鉄戸井線の払下や敷設免許の申請を行うなど再建策を計画したが、翌年には取り下げた。やがて1952年(昭和27年)になると鉄道線を廃止し、観光事業およびバストラック運輸業へ転換することを発表した。これに対して、鹿部村は廃止反対をとなえて大沼電鉄と交渉し、鉄道買収案も出たが価格面で折り合わず、遂に同年12月1日をもって鉄道線は休止(同月25日廃止)となり、代替バスが運転を開始した。 鉄道廃止後も経営は苦しく、新車のバスの代金の支払いが滞り、バスを返還することもおこった。結局、1953年(昭和28年)9月20日をもって大沼 - 鹿部間の乗合バスは休止して同月22日から函館バスが運行を代替するようになり、後に大沼電鉄は解散した。
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2度目の廃止
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1925年の宇垣軍縮で、陸軍は4個師団を削減し、第13師団もその対象になった。大正14年軍令陸第2号(4月6日制定、8日公布、5月1日施行)で、第13師管は廃止された。師団・師管の13番目は欠番になった。新潟県は新発田・高田の連隊区にまとめられて東北の第2師管に戻り、長野県は松本連隊区一つになって、北関東の第14師管に属すことになった
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2度目の廃止
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1939年、共和国側の敗退によってスペイン内戦が終結し、フランシスコ・フランコはカタルーニャ州政府の廃止を宣した。カタルーニャ州政府とその代表は国外へ亡命し、その状態は1975年のフランコの死と1976年の自由選挙施行まで続いた。
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