1918年から1933年、ヴァイマル共和政下で
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「ドイツの映画」の記事における「1918年から1933年、ヴァイマル共和政下で」の解説
第一次世界大戦後すぐに、映画は大衆にとってファンタジー世界への逃避の手段となり、映画産業は好況期に入ったが、製作の予算は常に厳しく現場では節約を迫られていた。しかし、そういった状況や、当時ヨーロッパに満ちていた未来に対する期待などがドイツ表現主義の隆盛の要因となったといえる。表現主義映画はストーリーを語る際、写実主義ではなく象徴主義や比喩表現に依存していた。表現主義映画の始まりは、しばしば ロベルト・ヴィーネの『カリガリ博士』(1920)だといわれる。ドイツ表現主義において重要なその他の作品にはF・W・ムルナウの『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)やカール・ベーゼとパウル・ヴェゲナーの『巨人ゴーレム』(1920)などがある。1920年代中頃に表現主義映画の動きは終焉したが、その後もアメリカのホラー映画やフィルム・ノワール、ヨーロッパのジャン・コクトーやイングマール・ベルイマン作品など、世界中の映画に影響を与え続けた。 ウーファは1921年に民営化され、1920年代には年間600本の映画を製作するなど、ドイツ映画界の大黒柱的存在となる。当時ベルリンには 230もの映画製作会社があった。しかし、もともとヴァイマル共和政下の経済が不安定であったため、映画産業も脆弱であった。映画製作費用はしばしば巨額になり(フリッツ・ラングの『メトロポリス』など)、映画製作会社の倒産や破産を引き起こすことも多かった。ウーファもアメリカのパラマウント映画やメトロ・ゴールドウィン・メイヤーと不利なパートナーシップを結ぶことを余儀なくされたが、1927年に愛国主義者の実業家アルフレート・フーゲンベルクに買収された。経済的困難があったもののウーファはエルンスト・ルビッチの『パッション』(1919)、フリッツ・ラングの『ニーベルンゲン』(1924)、F・W・ムルナウの『最後の人』など、多くの優れた作品を生み出した。1912年に設立され、後にウーファに吸収された大規模なスタジオFilmstudio Babelsbergでラングは『メトロポリス』を撮影し、ドイツ映画の基盤を築いた。 ヴァイマル共和政下では映画産業の発達に伴い、映画評論も1つの分野として発達し、ルドルフ・アルンハイムやバラージュ・ベーラ、ロッテ・アイスナーなどが現れた。 1920年代、表現主義の影響が薄れるにつれ、様々なジャンルやスタイルが発達していった。新即物主義に影響された映画は社会的なテーマやリアリズムに戻りはじめ、ゲオルク・ヴィルヘルム・パープストの『喜びなき街』(1925)や『パンドラの箱』(1929)などがヒット。新即物主義は更に堕胎や売春、同性愛、依存症といった当時スキャンダラスな題材を扱った作品を生み出す結果にもなった。対照的にこの時期、アーノルド・ファンクが先駆者となった山岳映画というジャンルが発達した。また、ロッテ・ライニガーやオスカー・フィッシンガー、ワルター・ルットマンといったアニメーターや映画監督は非常に活発に実験的作品を制作していた。ルットマンの実験的ドキュメンタリーBerlin: Die Sinfonie der Großstadt (1927)では、エネルギーに満ちた1920年代のベルリンを見ることが出来る。また、ヴァイマル時代の政治的見解が映画にも影響を与えた。オットー・ゲビュール(Otto Gebühr)がフリードリヒ2世を演じた愛国的な映画シリーズが1920年代を通じて製作され、新即物主義に影響された映画を退廃的だと批判した右翼層に支持された。 1920年代後半には、音声の到来によって、ヴァイマル共和政下での最後のドイツ映画の繁栄が到来した。音声付の作品はすぐにドイツ映画界に浸透し、1932年には音声設備付き映画館が3,800もあった。オーストリア人監督のジョセフ・フォン・スタンバーグの『嘆きの天使』 (1930) はドイツ映画で初めてのトーキー作品(ドイツ語と英語の両方で撮影された)であり、マレーネ・ディートリヒを国際的スターにした。その他の初期のトーキー作品にはパープストの『三文オペラ』(1931)、ラングの『M』(1931)などがある。ベルトルト・ブレヒトは共産主義を支持する映画『クーレ・ヴァムペ』(Kuhle Wampe)(1932)にも関わっているが、この作品は公開後に上映禁止となった。
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