ヴァイマル時代
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1921年に民営化され、毎年600本もの作品を送り出すドイツ映画界を代表する制作会社となり、その作品は国際的にも高い評価を得るようになって行く。活躍した映画監督には『ドクトル・マブゼ』(1922)や『メトロポリス』(1926)のフリッツ・ラング、『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1921)や『最後の人(ドイツ語版)』(1925)のF・W・ムルナウ、『嘆きの天使』(1930)のジョセフ・フォン・スタンバーグ、『南の誘惑(ドイツ語版)』(1937)のダグラス・サークなどがいる。 俳優では、エミール・ヤニングス、ポーラ・ネグリ、コンラート・ファイト、マレーネ・ディートリヒ、ヴェルナー・クラウス、リリアン・ハーヴェイ、ヴィリー・フリッチ、ハンス・アルバース、ヤン・キープラ(ドイツ語版)、マルタ・エゲルトなどがサイレントからトーキー初期にかけて活躍した。 実験的な作品や過激な作品も制作する一方、ドイツ映画特有のジャンルである山岳映画(ドイツ語版)も製作。『モンブランの嵐(ドイツ語版)』(1931)のアーノルド・ファンクをはじめ、ハンネス・シュナイダーやレニ・リーフェンシュタールなどを生み出している。 一方ではトーキー作品も多く作られ、前述の『嘆きの天使』(1930)、『制服の処女』(1931)などのシリアスな劇映画、『ガソリンボーイ三人組(ドイツ語版)』(1930)、『狂乱のモンテカルロ(ドイツ語版)』(1931)、『会議は踊る』(1931)、『三文オペラ』(1931)『ワルツ合戦(ドイツ語版)』(1933)などのシネオペレッタと呼ばれる音楽映画が相次いで製作され、レベルの高い作品と楽しい主題歌は世界中でヒットした。 1920年代後半には財政難に陥り、1927年に実業家のアルフレート・フーゲンベルクによって買収された。フーゲンベルクは後に右翼のドイツ国家人民党党首となり、党のプロパガンダとしても映画を利用した。
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ヴァイマル時代 (1708年-1717年)
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1708年6月25日、バッハは突然ミュールハウゼンの市参事会に辞表を提出し、再びヴァイマルに移り、ザクセン=ヴァイマル公国の領主ヴィルヘルム・エルンスト公の宮廷オルガニスト兼宮廷楽師となった。ミュールハウゼンでは年額85フローリンを得ていたが、ヴァイマルでは倍近い150フローリンを得ることとなった。エルンスト公は厳しい宗教政策を推進し音楽の保護につとめ、宮廷楽団の質を向上させており、その一環として、ヴァイオリン奏者ヨハン・パウル・フォン・ヴェストホフを招聘したり、郊外のヴィルヘルム城にオペラ劇場を建設したりもしていた。多くのオルガン曲はこの時期の作品である。また、この時期にアントニオ・ヴィヴァルディの協奏曲様式を取り入れている。 しかしバッハはここでの待遇にもあまり満足しておらず、1712年に死去したオルガニスト、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ツァハウの後任として1713年12月に募集されていたハレの聖母教会オルガニストに応募した。同年12月13日無事採用されたものの、ザクセン=ヴァイマル公が大幅な昇給と昇進を提示して慰留されたことで、ヴァイマルに留まることとなった。1714年3月には楽師長に昇進、毎月1曲のカンタータの作曲及び上演が義務付けらた。1717年9月、バッハは楽師長のヴァイオリニスト、ジャン・バプティスト・ヴォリュミエの招待に応じてルイ・マルシャンとの即興演奏の対決のためにドレスデンを訪れていたが、マルシャンは姿を現さなかった。 最終的には1717年、アンハルト=ケーテン侯国宮廷楽長として招聘され、ヴァイマルを離れることとなった。この時ザクセン=ヴァイマル公は辞職を承諾せず、このトラブルによってバッハは同年11月6日から約1ヶ月間投獄され、その後12月2日に釈放と共に解任された。問題となったのはバッハの契約問題で主家の許可なく他の契約をしたためといわれる。
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