黄金律に向かう道すじ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 04:38 UTC 版)
「経済成長の黄金律」の記事における「黄金律に向かう道すじ」の解説
2008年時点のフェルプスは黄金律を目指すのが最適といえないと認めているが、1961年に黄金律を提唱した当初のフェルプスは黄金律を望ましいものとして扱っていた。この場合、すでに黄金律に達しているときは黄金律をたもてばいいが、黄金律から外れているときはどのような道すじで黄金律に向かえばいいかという問題がある。この問題についてフェルプスは、寓話の主人公オイコ・ノモスに次のように主張させている(意訳)。 何としてでも今後ずっと確実に黄金律の道すじを進むべきです。黄金律では資本と生産の比率が決まっています。今の資本生産比率が黄金律より低ければ、その不足分がなくなるまで消費を先送りすべきです。今の資本生産比率が黄金律を超えていれば、その超過分がなくなるまで消費を前倒しすべきです。ひとたび黄金律に到達したら、そのあとは黄金律で投資することを皆で誓わなくてはいけません。黄金律にしたがって投資比率を収益比率と一致させてゆけば、後で悔やむことにならないでしょう。こうして最適に準じる社会投資政策の基礎ができあがるのです。 いそいで黄金律を達成すべきだというのがオイコ・ノモスの主張だが、最後で「最適に準じる」と語らせているあたり、この主張の甘さをフェルプス自身が認めていることを表わしている。厳密な理論を構成するためには、何が最適であるかを厳密に定める必要がある。フェルプスの寓話の筋書きは、数学者たちが最適をもとめて極値問題や汎函数やハミルトニアンに取りくみました、しかし実現できる答えを出せませんでした、そこで大がかりな最適化問題を忘れて単純に考えることになりました、そして賢い百姓オイコ・ノモスが黄金律を思いつきました、という話しであった。経済成長の最適化問題は、フェルプスが寓話を発表したあと、次に述べる最適成長モデルで解かれる。
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