騒々しいパーティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 02:45 UTC 版)
1938年10月にシンガポールにやって来た篠崎は、当初ケーンヒル路(Cairnhill Road)156号に住み、その後カトンのウェアハム路(Wareham Road)9号に移った。1940年6月からは日本総領事の許可を得て、アッパー・ウィルキー路(Upper Wilkie Road)11号にあった日本総領事館の最上階の部屋に寝泊りしていた。 1940年4月19-25日頃、篠崎は、ウェアハム路の自宅に欧州人や英国空軍の軍人らを招いて何度かパーティを開き、夜遅くまでラジオの音や人の話し声がして騒々しいとして、近所に住んでいた英国空軍省(英語版)の技師から騒音への苦情を受けていた。 こうしたパーティが特高科の目を惹き、1940年7月19日にブレーズは篠崎の行動を監視するよう指示、同年8月に特高科の刑事が、日本総領事館の近くにある日本人経営の「サクラホテル」の近くで見かけた男が英国砲兵隊(英語版)のフランク・ガードナー(Frank Gardner)准尉であることに気付き、同月25日に日本総領事館近くの日本寺院に現れたガードナーを逮捕、尋問した。 同年9月11日に、英本国の植民地省から篠崎逮捕の許可が下り、同月19日にブレーズは篠崎に電話をし、同月21日の面会を申し入れた。
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