類似する案件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 09:04 UTC 版)
「石鐵県死刑囚蘇生事件」の記事における「類似する案件」の解説
太田蘭三の小説「白の処刑」(2004年に講談社から文庫化)では、冤罪で処刑された死刑囚がレスリングで鍛えた首のおかげで執行後に蘇生し、放免となり真犯人を追う内容であるが、この小説の中で法務省官僚が釈放する根拠の前例としているのが藤作の一件である。この作品は1986年にテレビ朝日の土曜ワイド劇場で元死刑囚役に三浦友和、義妹役に大場久美子を起用して「白の処刑 絞首台から生き返った男」として映像化された。また、帚木蓬生の小説「閉鎖病棟」(1997年に新潮社から文庫化)では死刑執行に失敗して釈放された人物が登場する。 これらの事例のためか「死ななかった死刑囚は釈放される」という都市伝説が流布されている。実際に死刑囚房にいた合田士郎の著作『そして、死刑は執行された』(恒友出版)によれば、生き残る為に首を鍛える死刑囚がいたという記述がある。しかし名古屋高等検察庁時代に死刑執行に立ち会った三井環元検察官によれば死刑執行された死刑囚の身体は30分間ぶら下げるのが慣例となっており、30分もぶら下げることで「確実に」死亡しているため、現在では蘇生する可能性は皆無である。 この事件と同時期の1884年、イギリスの死刑囚「ジョン・"ババコーム"・リー (John 'Babbacombe' Lee) 」は絞首台の落とし戸が3度も開かず停止されたという。原因は落とし戸が湿気のために膨張し、重量がかかると戸が開かなくなったためとされている。結局、彼は減刑され22年後に出所し、結婚しアメリカに渡り1933年に病死したとされる。このほかにも失敗が相次いだためイギリス政府は対策として適切なロープの長さを計算するマニュアル「公式ドロップテーブル」を発表した。 第二次世界大戦後に死刑に失敗(生き返った)した死刑囚にアメリカ合衆国のウィリー・フランシス(en:Willie Francis1929年生まれ)がいる。彼は電気椅子に1946年に座ったが、歴史上初めて処刑に失敗した死刑囚として有名である。原因は電気回路の設置に不備があり致死量の電流が流れなかった為である。彼自身は冤罪を主張していたほか、二度も電気椅子にかけるのは残虐で異常な刑罰であると主張したが、いずれも受け入れられず、1947年に再度電気椅子に座らされた。なお、彼が処刑された年齢は18歳(犯行時15歳)であり、現在のアメリカ合衆国最高裁判所の判例で禁止された18歳以下の死刑執行である。
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