順位戦創設以降(第6期から)
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「名人戦 (将棋)」の記事における「順位戦創設以降(第6期から)」の解説
第6期(1947年) 前年から順位戦が開始され、A級順位戦の優勝者が名人挑戦資格を得るようになった。 この年のA級順位戦は八段棋士14名によるリーグ戦(持ち時間は各7時間)で、順位が決定していなかったため、同率首位となった塚田正夫・大野源一・萩原淳の3者によるプレーオフが行われ、塚田が挑戦資格を得た。 この期より番勝負のシステムが、それまでの3日制から「持ち時間各8時間の1日制」に変更された(封じ手は行われない)。 第7期(1948年) - 第9期(1950年) 順位戦A級の上位3名と、B級の優勝者による4名がパラマス式トーナメントを行い(A級3位とB級優勝者が対局し、勝者がA級2位と、その勝者がA級1位と対局する)、トーナメント優勝者が名人挑戦資格を得る。 第7期では、第2期順位戦でB級七段だった大山康晴がパラマス式トーナメントを勝ち抜いて挑戦資格を得ており、名人戦唯一の七段の挑戦者となっている。 1949年の順位戦実行中に、日本将棋連盟と毎日新聞社との交渉が決裂し、第9期からの名人戦の主催者は朝日新聞社となった。 なお第9期から、番勝負のシステムが「持ち時間各10時間の2日制」に再度変更されている。 第10期(1951年) - 第26期(1967年) A級順位戦の優勝者が挑戦資格を得るように改められた。 第27期(1968年) - 持ち時間を「順位戦は各6時間、番勝負は各9時間」に短縮。以後現在までほぼ同じ形式を踏襲している。
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