雨季の到来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 01:28 UTC 版)
シッタン作戦の当時、ビルマには雨季が到来していた。4月下旬から5月上旬にかけて南部ビルマでは豪雨が降り、5月20日には本格的な雨季に入っていた。渡河が行われるシッタン川下流域は川幅200m・流速毎秒2mを超えて、川岸も水田や湿地が一面に冠水して水深70cm以上に達する。豪雨のため日本軍の無線連絡は感度が極端に低下し、5月上旬以降は緬甸方面軍司令部・第28軍司令部・振武兵団の間以外ほとんど不通となった。伝令で川で溺れる者も出て、無線機の電池切れもあって部隊間の連絡は困難となった。 イギリス軍にとっても大雨と洪水は行動の妨げになった。戦車やトラックなどの車両は幹線道路以外を走れなくなり、背の低いグルカ兵では歩くことも難しいほど冠水したところもあった。飛行場もしばしば使用不能となり、第221飛行連隊はトングー飛行場の1個中隊を除いて近接航空支援から引き上げなければならなかった。前述のとおり、第4軍団のシッタン川東岸占領も予想より早い雨季の到来で中止されている。 雨季の到来は衛生環境の悪化も招いた。日本の第54師団では6月上旬からコレラ患者が多発し、勝部隊(第49師団から配属の歩兵第153連隊基幹)指揮官の武田光大佐ら百数十人の死者が出た上、ペスト発生の兆候もあった。
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