阪急今津線暴走事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 22:45 UTC 版)
「日本の鉄道事故 (1949年以前)」の記事における「阪急今津線暴走事故」の解説
1949年(昭和24年)12月13日 阪急今津線の電車(600形2両編成603、608)が、阪神国道駅でコンプレッサーの故障によりブレーキが緩まなくなったため修理を行った際、誤ってドレンコックを開きエアーが抜けたためブレーキが緩み、電車は40‰の下り急勾配を走り出した。運転士と乗客が協力してハンドブレーキを回したが効果はなく、今津駅の半径60mの急カーブを曲がり、車止めを突破して、当時線路が接続されていた阪神本線にポイントを粉砕して入り込んだ。運転士は乗客に後ろの車両に移るよう指示し、阪神の方が建築限界が小さかったため隣の久寿川駅のホームに衝突してようやく止まった。途中で窓から飛び降りた2名が負傷した。 阪神電車の大阪行き急行が通過直後で、1分後には普通電車が迫っていたため、タイミングがずれていれば近鉄奈良線列車暴走追突事故のような大惨事になっていた恐れがあった。今津線から920形2両編成(924、954)が救援に向かい、久寿川駅で事故車両と連結した際の鮮明な写真が残されている。 『朝日新聞』大阪本社版で「阪急、阪神に"殴り込み"」と報道された ため、「殴り込み事件」という通称がある。事故後、今津駅の連絡線は車止めを変えたもののレールは接続されたままであった が、後年分断された。 この事故を踏まえて、2014年7月に阪急5100系が改造を受けるため阪神尼崎駅まで走行した際に、阪神電鉄が神戸新聞の取材に「(阪急の車両が阪神の線路を)合法的に走るのは初めて」と答えている。
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