近鉄奈良線列車暴走追突事故
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近鉄奈良線列車暴走追突事故(きんてつならせんれっしゃぼうそうついとつじこ)は、1948年(昭和23年)3月31日に近畿日本鉄道(近鉄)奈良線河内花園駅付近で発生した列車衝突事故である。衝突が起こった地点から花園事故、また、事故の原因となったブレーキ故障が生駒トンネル内で発生(発覚)したことから生駒トンネルノーブレーキ事故とも呼ばれる。
注釈
- ^ モ1・19形による3両編成。編成は上本町寄りからモ1形9-モ1形11-モ19形27。全車木造車であった。
- ^ 当時は現在地よりも大阪方面若江岩田駅寄りにあった。事故地点の線路脇には慰霊のため1948年9月、光明地蔵が建てられた。
- ^ 上本町寄りからモ103形104-モ301形307の2両編成。いずれも鋼製車体であった。
- ^ 事故車の制御器はゼネラル・エレクトリック社製MK制御器と呼ばれる電磁単位スイッチ方式による総括制御器で、新造時にはマスコンのノッチを力行時とは反対方向に回転させると動作する非常用発電制動を搭載していたが、これは下り勾配での常用による抵抗器の焼損と電動機の劣化が頻発したため戦前に撤去されていた。
- ^ 狭い生駒トンネルを通るため短くしていたという(鉄道・航空機事故全史より)
- ^ このほか、急行電車の運転士が身を乗り出してパンタグラフを戻し再度モーターを動かそうとしたが、これは失敗に終わった。
- ^ 当時、東花園駅は休止していた上、臨時駅であった。
出典
- 1 近鉄奈良線列車暴走追突事故とは
- 2 近鉄奈良線列車暴走追突事故の概要
- 3 事故後
固有名詞の分類
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