近鉄奈良線列車暴走追突事故とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > できごと > 事件・事故 > 事件・事故 > 日本の鉄道事故 > 近鉄奈良線列車暴走追突事故の意味・解説 

近鉄奈良線列車暴走追突事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/25 05:01 UTC 版)

近鉄奈良線列車暴走追突事故(きんてつならせんれっしゃぼうそうついとつじこ)は、1948年(昭和23年)3月31日近畿日本鉄道(近鉄)奈良線河内花園駅付近で発生した列車衝突事故である。衝突が起こった地点から花園事故、また、事故の原因となったブレーキ故障が生駒トンネル内で発生(発覚)したことから生駒トンネルノーブレーキ事故とも呼ばれる。


注釈

  1. ^ モ1・19形による3両編成。編成は上本町寄りからモ1形9-モ1形11-モ19形27。全車木造車であった。
  2. ^ 当時は現在地よりも大阪方面若江岩田駅寄りにあった。事故地点の線路脇には慰霊のため1948年9月、光明地蔵が建てられた。
  3. ^ 上本町寄りからモ103形104-モ301形307の2両編成。いずれも鋼製車体であった。
  4. ^ 事故車の制御器はゼネラル・エレクトリック社製MK制御器と呼ばれる電磁単位スイッチ方式による総括制御器で、新造時にはマスコンのノッチを力行時とは反対方向に回転させると動作する非常用発電制動を搭載していたが、これは下り勾配での常用による抵抗器の焼損と電動機の劣化が頻発したため戦前に撤去されていた。
  5. ^ 狭い生駒トンネルを通るため短くしていたという(鉄道・航空機事故全史より)
  6. ^ このほか、急行電車の運転士が身を乗り出してパンタグラフを戻し再度モーターを動かそうとしたが、これは失敗に終わった。
  7. ^ 当時、東花園駅休止していた上、臨時駅であった。

出典

  1. ^ 続・事故の鉄道史. 日本経済評論社 
  2. ^ 『車両発達史シリーズ8 近畿日本鉄道 一般車 第1巻』、p.189。
  3. ^ 『車両発達史シリーズ8 近畿日本鉄道 一般車 第1巻』、p.63。


「近鉄奈良線列車暴走追突事故」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「近鉄奈良線列車暴走追突事故」の関連用語

近鉄奈良線列車暴走追突事故のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



近鉄奈良線列車暴走追突事故のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの近鉄奈良線列車暴走追突事故 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS