野坂の反米と反戦のしがらみ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 07:27 UTC 版)
「アメリカひじき」の記事における「野坂の反米と反戦のしがらみ」の解説
『アメリカひじき』は、アメリカに対する複雑な心理のアレルギーがモチーフとなって描かれているが、野坂はアメリカ兵について次のように述べている。 空襲で雲の上から爆弾、焼夷弾がどこかまわず落ちてきた、相手がさっぱりわからない。そこでは具体的にちっとも憎しみを感じなかったけど、実際問題として進駐軍がやってきて、ホッペタの赤い奴が町を歩いてるのをみると、こんなでかい、強そうなやつと、なんで喧嘩をしたんだろうという気持はあった。ただ、こいつたちがおれたちをひどい目にあわせたんだ、この野郎という気持だった。だから横浜の裏通りで、五、六人でアメリカ兵をぶんなぐって溜飲を下げていた。そして昭和二十七、八年までは、アメリカ人をみると、なんとかうまくごまかして生きてやろうという気持がずいぶんありましたね。(中略)僕は日本がいっぺんぐらい戦争に負けたからといって、平和国家であることがいちばん国家の形態としていいとも思っていないんで、やるならやったほうがいいという気がしないでもない。 — 野坂昭如「エロチシズムと国家権力」 その一方、自分の本音の中には、「ガタガタいうならやってやるぜというような気持」と、「戦争はいやだ、グータラ、グータラやっていきたい」という気持が共存しているとし、次にように述べている。 外国なんかで具体的にアメリカ人にバカにされると、「この野郎、もういっぺんやったるか」という感じがしてくるんですね。観艦式の写真なんかを見ても、世界に冠たる日本連合艦隊の思い出がよみがえってくるわけですよ。日章旗を後ろに背負って、仁丹を万能の薬だといったような、そういった時代へのノスタルジアが抜きがたくあるんです。向こうがごちゃごちゃいうなら、核兵器どころか、BC兵器でもいいから、太平洋のなかにバラまいちゃうゾ、と開き直るような……。ところが、一方においては、なんかもう戦争がいやだというか、一挙手一投足しばられても、あんな一方側にゆだねて、ごたごたいわれるのはいやだという気持ちがかなり強いんですね。 — 野坂昭如「剣か花か――七〇年乱世・男の生きる道」
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