配給と上映
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1961年1月27日、35mmフィルム版は、36本がプリントされ、一般常設館792館で上映。160万人が鑑賞。京都市では祇園会館(1958年3月開館)での一週間の上映だけで2万人を動員。本作がヒットしていることを知った映画館主のなかには、浜松市と船橋市の大映、若松市(現・北九州市若松区)の東宝直営または系列館のように、割当の映画上映の義務に違反して違約金を配給元に支払って本作を優先して上映してもなお利益を確保したケースもあった。 16mmフィルム版は67本が活用され、1300会場1600回、210万人が鑑賞。本作の16ミリ版の自主上映運動は、各地の労働組合での視聴覚教育への関心を高め、16ミリ映写機の購入等の弾みになった。占領下の1948年から民間情報教育局(CIE)の貸与する16ミリトーキー映写機1300台による教育映画の地域の巡回映画上映は盛んであったが、まだ長編劇映画の巡回上映が珍しい農山村も少なくなく、そうした地域でも上映され、住民ぐるみ動員を得たケースも少なくなかった。 35ミリフィルムは中国にも送られ、中国の声優によって中国語吹き替え版が製作され、上映された。
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