部派仏教時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 01:19 UTC 版)
その後、部派仏教の時代には、上座部系部派の説一切有部が大きな勢力を誇った。新興の大乗仏教が主な論敵としたのはこの説一切有部、もしくはそのうちの一派であるとされる。大乗仏教側は論難に際して、(自己の修行により自己一人のみが救われる)小乗(しょうじょう;ヒーナヤーナ、Hīnayāna)と呼んだとされる。なお、大乗の語や音写語の摩訶衍は、初期仏教の聖典として伝存する阿含経の漢訳や、部派教典の論蔵の漢訳にもみられる[信頼性要検証]。大乗仏教は北インドから中央アジアを経て東アジアに広がった。 各部派では、仏説とされる経と律とが伝承され、それらを註釈した論が作られた(経蔵・律蔵・論蔵の三蔵)。南方上座部の伝える経蔵(パーリ・ニカーヤ)は五部に分かれており、「小部」を除く4つは漢訳の4つの阿含経と一定の対応関係がある(大正新脩大藏經では、漢訳の阿含経は阿含部に収載、法句経など一部は本縁部他に収蔵)。論蔵 (Abhidhamma-piṭaka) には上座部仏教が受持する7種の論蔵と漢訳された説一切有部の7部の論蔵があるが、両者に共通点がないことから部派仏教時代以降の確立とみられ、論蔵の成立は部派仏教の大きな特徴のひとつである。この時代にはアビダルマ(「ダルマに対して」の意;対法)とは論書を指した。各部派においてそれぞれの論を通じて教義の整備が進められた状況があったと考えられ、部派仏教をアビダルマ仏教と呼ぶこともある。なお、中国、チベット、ベトナム、朝鮮、日本等の地域に伝わったのが大乗仏教で、いわゆる北伝仏教である。
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