道家との関係
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純粋な儒家の思想だけでなく、道家的な思想が随所に見られるのも特徴である。無為篇で、「道は無為より大なるはなく」と道家の中心である「無為」を最大のものと称揚する。その他あちこちに「無」や「道」のような道家的用語で語るところがある。しかしそれも、全体として儒家から外れるものではない。「道は無為より大なるはなく」の次には、「行は勤敬より大なるはなし」と続けるように、個々人に求めるのは無為自然ではない。新語における「道」は、「徳」とあわせて道徳となることが多く、その中身は儒教的道徳に帰着する。その他の部分も、聖人君子が道徳的な模範を示すという儒家の理想に話を導いている。 別の箇所では神仙を求めることを批判しており、道家的な生き方には否定的である。『新語』の中の道家的要素は、老壮の道を求めるのではなく、儒教政策を採用させやすくするために道家の用語を使ったまでと言える
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道家との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 15:00 UTC 版)
諸子百家の道家は、学術的な流派の一つであり、宇宙の起源や万物の生成、社会の興亡や人の善悪などを議論し、独自の学説を立てていた。漢代に入ると、黄老思想(黄帝と老子を神仙として崇拝する思想)が盛んになり、前漢の建国の際には彼らの清常無為の思想を用いて指導がなされた。後漢になると、黄老思想は徐々に神秘化され、徐々に宗教的な面が現れるようになった。 養生説などにおいて道教が道家の思想の影響を受けていることは確かであるが、従来の日本の学界では両者は区別されて考えられるのが一般的であった。ただし、欧米圏では中国における道家思想・道教・民間信仰などは同一視される傾向が強く、道教の源泉は道家思想に求めることが多い。近年は、道家・道教の区別はさほど強調されないことが多い。
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