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どうあん だうあん 【道安】

(1) (312-385) 中国東晋時代の僧。初期中国仏教中心的存在仏図澄(ぶつとちよう)門下漢訳仏典目録をつくり、教団儀式規則定め般若経典などの研究解釈を行なった。

(2) 千道安(せんどうあん)


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釈道安

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/02/15 13:14 UTC 版)

(道安 から転送)

釈 道安
314年 - 385年
寺院 檀渓寺
仏図澄
著作 『綜理衆経目録』

釈 道安(しゃく どうあん、 314年 - 385年)は、五胡十六国時代の僧であり、中国仏教の基礎を築いた大功労者である。

本姓は衛氏で、河北省の生まれ。12歳で出家した後、仏図澄の弟子となる。師の没後、五胡の君主が乱立して混乱の極地にあった華北で居所を転々としながらも、彼のもとには次第に門弟が集まり、数百人規模の弟子を率いるまでになった。その後、湖北省襄陽に移ると、東晋孝武帝も含めて四方から寄進が集まり、また門弟子も数千人規模となり、彼が住む檀渓寺は盛況を極めた。

前秦苻堅建元15年(379年)、前秦が襄陽を攻略し、高名な釈道安を言わば政治顧問とするために長安へと連れ去った。長安に移った後も、彼は苻堅の庇護のもと、経典の研究に打ち込み、多数の経序を後世に残した。また、西域で名を馳せていた鳩摩羅什を中国に招くよう、苻堅に建言したのは、道安であった。ただ、肥水の戦いで苻堅が大敗して前秦が滅亡し、また、直後に道安自身も長安で亡くなってしまうので、彼の生前に実現することはなかった。鳩摩羅什が長安に渡来して、大々的に訳経事業を始めるのは、次の後秦になってからのことである。

また、道安は、弥勒信仰を持っており、隠士の王嘉や弟子たちと弥勒像の前で誓願を立て、兜率天への上生を願っていた。

釈道安の功績は、大別して、以下の仏・法・僧の三宝すべてにわたっている。

目次

釈氏の創始

今日でも、日本も含めて漢字文化圏の仏教教団では、出家した者は受戒の師によって戒名(法名)を付けてもらう決まりとなっている。この時、在家の姓を捨てて、出家者はすべて釈氏を名乗る。

この、出家者は釈氏と名乗るという制度を始めたのが、釈道安である。道安以前の中国の仏教界では、その中国伝来の当初から、受戒の師の姓を受け継ぐのが慣習となっていた。インド西域からの渡来僧は、その出身地を姓として名乗ることが通例であったので、中国人の出家が許可された後、新たな出家者は、師の姓に従って、竺(インド)・安(パルチア)・康(サマルカンド)・支(大月氏)などの姓を名乗った。支遁竺道生らがその代表である。

それに対して道安の場合、仏図澄の弟子であれば、同門の竺僧朗のように、竺姓を名乗ることになったはずである。しかし道安は竺姓を名乗らず、釈氏を名乗った。彼は「大師の本は釈迦より尊きなし」と述べたという。これは、釈迦の教えである仏教の信者であることを端的に表すとともに、意識的にも、直接の師僧の弟子としての自覚よりも、仏弟子としての自覚をより重視すべきことを標榜したものであった。

そして、次第に道安の意見は中国仏教界において支持されるようになり、やがて全ての出家者は、釈氏を名乗るようになったのである。

本記事でもその意義を認め、単に道安のみではなく釈道安として項を立てている。また、後の時代に道安という同名の僧がいるため、混同を避けるために釈道安と呼ばれることが多いことにもよる。

仏典の研究

釈道安の当時の仏教の主流は、西晋に流行した竹林の七賢に代表される清談の風の影響もあって、中国固有の老荘思想の概念や用語によって仏典を解釈する格義仏教であった。東晋支遁がその代表であるし、また道安と同じく仏図澄門下の竺法雅も、格義の中心人物である。

そのような状況の中にあって道安は、仏典とは仏教本来の概念や用語によって注釈・研究されなければならないと主張した。そして、大乗小乗の別なく、当時訳経されていた主な経典に対して、数多くの序文を記しており、その中で自己の主張を展開している。

また、彼自身は直接訳経に携わることはなかったが、当時にあって必要とされる経典を訳経僧に漢訳させたりということは行っていた。そこで、訳経の基本的な立場として、「五失本、三不易」ということを主張した。それは、漢訳の際に原本の形を失しても可とする5項目と、原本の義を決して改変してはならない3項目とをいうものである。

その上で、当時流通していた訳経の中には少なからず偽経が混入していることが想定されていたため、真経と偽経とを明確に区分し、また当時すでに数多くなってきていた漢訳仏典を分類し整理する目的もあって、経録(経典目録)を編纂した。「綜理衆経目録」、 1巻がそれである。一般には、道安録と呼ばれている。ただ、この経録自体は散逸してしまって今日まで伝わらない。幸いにも、の僧祐の「出三蔵記集」の巻2から巻5は、道安録に基づいているので、それによって道安録を復元することが可能である。




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