迷走~衰退期とは? わかりやすく解説

迷走~衰退期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 06:27 UTC 版)

デロス同盟」の記事における「迷走~衰退期」の解説

詳細は「ペロポネソス戦争」を参照 紀元前431年ペロポネソス戦争勃発し紀元前429年ペリクレス死去して以後民主政国家アテナイデロス同盟盟主ありながらアテナイ支配していたのは「扇動家デマゴーグ)」たちであった民主主義政治リーダーたちと異なり世論刹那的な意見即座に政治反映したがる「衆愚政治(デマゴギア)は長期的な視野無視した政策連発し徐々にアテナイ国庫浪費していった。そして、盟主たるアテナイ混乱デロス同盟にまで悪影響与え始める。これが一部学者デロス同盟を「アテナイ海上帝国」と揶揄する原因一つとなってゆく。この変化レスボス島におけるミュティレネ中心としたデロス同盟脱退掲げた反乱の鎮圧や、中立維持していたメロス島攻略戦後の戦後理に如実に表れていた。ペリクレス時代では反乱起こしたポリスに対しても、反乱鎮圧後は国家としての独立認め処刑首謀者たちだけに抑えておいた。ところが、クレオンニキアスストラテゴス時代においては成人男性全て処刑し国家としての独立亡くしアテナイ植民市にまですることもあった。ここに政治的な意図や意味は皆無であり、アテナイ強権的かつ覇権的振る舞い始め時期となる。 また、クレオンブラシダス討たれた後にアルキビアデス提唱したシュラクサイへの遠征では、民主主義の悪い面が現れる戦況悪化しているにも関わらずアテナイ同盟金庫カラにして派兵続けた結果ギュリッポス率いペロポネソス軍に完全敗北。第一次遠征軍を率いたニキアスラマコス、さらに追加派遣され増援軍を率いエウリュメドンデモステネスの計四人ストラテゴス含めた全軍死亡するという最悪の果に終わったその後アテナイ一度寡頭政移行したのち民主制復活させるが、人材枯渇した状態のアテナイにおいて民主制そのもの機能せず、自家中毒をおこすようになってゆく。(終期財源枯渇したために税金課す。それ自体悪くないが、課税対象アテナイ以外のデロス同盟加盟ポリスのみに限定しアテナイ自身免税した。加えてシュラクサイ派兵人材枯渇してるにもかかわらずペロポネソス同盟軍敗れたストラテゴス市民集会極刑処すなどし、デロス同盟加盟しているポリス国庫派兵された兵隊浪費していった。加えてアテナイ海軍ペロポネソス同盟ペルシャによって三段櫂船漕ぎ手ヘッドハンティングされ、弱体化していった。軍事的に経済的にデロス同盟形骸化していった。 最後は、スパルタリュサンドロスアイゴスポタモイの海戦アテナイ破りデロス同盟ポリスおよび植民地からアテナイ市民総員強制退去させたことで事実上壊滅正式にリュサンドロス率いスパルタ海軍スパルタ王パウサニアス率いスパルタ軍にアテナイ包囲されアテナイスパルタ撤退引き換えデロス同盟解体を公式に認めた

※この「迷走~衰退期」の解説は、「デロス同盟」の解説の一部です。
「迷走~衰退期」を含む「デロス同盟」の記事については、「デロス同盟」の概要を参照ください。

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