赤烏元年鏡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 09:03 UTC 版)
赤烏元年鏡は国の重要文化財に指定され、一宮浅間神社(市川三郷町)に所蔵されている(東京国立博物館に寄託)。直径12.5センチメートルの紀年銘鏡で、大陸南部の呉の年号である赤烏元年(238年)の紀年銘をもつ。日本列島では弥生時代には大陸から威信材として青銅製品が移入されており、山梨県内でも貨泉(貨泉)や舶載鏡や出土している。大陸で遼東半島地域を支配していた公孫氏は魏と敵対する一方で呉と外交関係があったが、鏡に記されている赤烏元年には高句麗と魏の攻撃で公孫氏は滅ぼされている。『魏志倭人伝』によれば、日本列島では翌年に邪馬台国の女王卑弥呼が魏に朝貢して親魏倭王の称号を与えられたといわれ、こうした東アジアの政治状況のなかで、紀年銘鏡は呉と倭国間の外交関係、あるいは公孫氏を介しての通交によりもたらされたと考えられている(宮野淳一による)。
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