誤爆の原因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/03 17:09 UTC 版)
「第二次世界大戦中のダブリン空襲」の記事における「誤爆の原因」の解説
時間の経過と共に、この誤爆の理由がいくつか主張されてきた。国民啓蒙・宣伝省が運営するドイツのラジオ放送は「ドイツ軍が意図的にダブリンを爆撃する事はありえない」と述べた。アイルランドの領空は繰り返し侵犯を受けており、連合軍とドイツ軍双方の飛行士がカーラ・キャンプ(英語版)に収容されていた。後に空襲に参加した誘導者のひとりが語っているように、航法上のミスや目標を間違えた事が原因として考えられる。ダブリン同様アイリッシュ海を挟んでグレートブリテン島と向き合うベルファストを含む、イギリスの数多くの大都市が爆撃の標的となった。戦時中のドイツの謝罪と戦後のドイツの賠償金支払いの根拠として、誤爆の原因がドイツ空軍飛行士の航行ミスであった事を示すさらなる証拠が挙げられている。 またもうひとつの要因として、1941年4月にドイツがベルファスト空襲(英語版)で、イギリスの一部であるベルファストに大規模な爆撃を行った事も考えられる。これを受けて、アイルランドはベルファストに救助隊や消防隊を派遣して支援した。デ・ヴァレラはドイツ政府に正式に抗議すると共に「彼らは我々の仲間」という有名な演説を行ったのである。この爆撃はアイルランドが参戦する事に対する警告だったとする説もある。アイルランドの防衛措置調整大臣(英語版)であるフランク・エーケン(英語版)のはとこにあたるエドワード・フリン大佐が、ベルファストからの避難民が到着するダブリンのアミアン・ストリート駅が爆撃されるとホーホー卿がアイルランドに警告していた事を思い出し、語った事で、この説はさらに信憑性を増した。現在ダブリン・コノリー駅と呼ばれるこの駅は、爆撃で最大の被害を受けたノース・ストランド・ロードから数百メートルの位置にある。 同様にフリンは7月4日のドイツ軍によるダンドーク爆撃も、ダンドークがアイルランドからイギリスに輸出される牛の出荷元である事の懲罰として、ホーホー卿が事前に警告していたと主張した。 戦後、ウィンストン・チャーチルは「1941年5月30日夜のダブリン爆撃は、我々が "Y "に干渉した事による予期も意図もしない結果だったかもしれない」と語っている。彼の発言は電子戦(英語版)の事を指しており、Yとはドイツ空軍が爆撃機を目標に導くため用いていた方向探知用の無線信号の事である。しかし、この技術は1941年半ば時点では十分な物ではなく、爆撃機の信号受信能力を制限する事しかできなかった。
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