誕生と修学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 08:07 UTC 版)
高知城下の山田町(現・高知市はりまや町三丁目)に生まれる。文久元年(1861年)2月に父が死去し、5月には家督を相続して足軽身分となる。文久2年(1862年)には藩校の文武館開校と同時に入門し、細川潤次郎、萩原三圭らの門下で学ぶ。外国語なども学び、慶応元年(1865年)9月には、藩が派遣する留学生として長崎へ赴。このころ郷土の先輩である坂本龍馬と出会っている。龍馬に頼まれてたばこを買いに走った、などの逸話を残している。その後、幕府の語学所学頭平井義十郎からフランス語を学ぶなど外国語習得に努める。慶応3年(1867年)5 - 6月に江戸に移り、村上英俊の達理堂で学ぶが破門され、横浜天主堂の僧にも学んだという。同年末に兵庫が開港されると上方へ赴き、フランス外交団の通訳を務める。
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