誕生と出自
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 03:27 UTC 版)
カルティニは、1879年4月21日(ヒジュラ暦1808年4月28日)に中部ジャワの北部に位置するジュパラ県(英語版)のマヨン郡において、ジュパラ県マヨン郡の郡長を務めていたラデン・マス・アディパティ・ソスロニングラットを父として、彼の副妻であるンガシラを母として、11人きょうだいの5人目として誕生した。 ジュパラはジャワ島のムルヤ半島に位置している。かつては商港として栄えており、ジャワで最初のイスラーム王国であるドゥマク王国や、マタラム王国の外港であった。しかし、ジャワにオランダ東インド会社が進出してくると商業の中心は90キロメートル西にあるスマランに移り、ジュパラでの商業活動は衰退した。 カルティニの家系はジャワにおいてプリヤイ(英語版)と呼称される貴族の家系である。カルティニの祖父であるアディパティ・アリオ・チョンドロネゴ4世はクドゥス県やデマック県の知事(ブパティ、bupati)を務めていた。彼は積極的にオランダの生活様式を取り入れており、まだオランダ語の学校がなかった時代に、オランダから家庭教師を招き、自らの子供たちにオランダ語やオランダの生活を学ばせた。その後、カルティニの父を始めとする4人の子供たちは全員が知事となった。
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