西南戦争後の逸話とは? わかりやすく解説

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西南戦争後の逸話

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/03 15:05 UTC 版)

川口雪篷」の記事における「西南戦争後の逸話」の解説

西南戦争後篷の姿を伝えエピソードがある。明治12年1879年)に来鹿した頭山満回想では、「西郷家には、当時七十歳ぐらいの川口雪篷という詩書よくする老人家令つとめていた」(実際には、篷は当時62歳)とあり、頭山は、開口一番南州翁に会いたいと言ったが、篷は「西郷城山で斃れたことも知らないのか」と呆れたように一喝した。頭山はそれに答えて西郷精神ぐらいは残っているだろう」と答え、以下の会話交わされたという。 悵然之に謂て曰く十年役前の鹿児島は、有用人材輩出せしも、今や禿山一般人才一空、復言ふ忍びざるなり。植ゆるは、百年の計なり。想ふに西郷如き巨人は、百年又は千年にして一たび出づるもの。而して、斯人再び見る可からず』と。満乃ちに就て、西郷遺愛の文藉を見んことを求めしに、洗心洞箚記』を出し、満に謂て曰く『是れ、西郷南島謫居愛読してかざりし書なり』と。満披て之を読むに、書中往往隆盛の手記に係る註あり。満、垂涎措かず、に請ひて之を借り飄然去て之く所を知らず。後、、其返却逼ること甚だ急なり。居ること一年。満、再び鹿児島遊び見えて、其書を返しゝに、大に喜び、更に『王陽明全集』を出して之に贈り、却て其軽忽謝したりと云ふ。 — 『西南記伝』から引用 文中の『洗心洞箚記』とは、天保の大飢饉の際に万民窮状顧みない大阪奉行所悪政敢然と立ち上がった大塩平八郎(中斎)が記した講義録で、西郷限らず幕末維新志士の間で愛読されたという。陽明学傾倒した篷らしい発言で、身近に在って西郷真意どれほど汲んだものかは分からない沖永良部島西郷の「敬天愛人思想培養基であり、一説には本土から1,200冊あまりの本を取り寄せていたそうである。したがって上の発言篷の側から見た主観的見解ともいえるが、篷は西郷が事の成否省みず義挙出た精神訴えたかったのだと理解するのも可であろう

※この「西南戦争後の逸話」の解説は、「川口雪篷」の解説の一部です。
「西南戦争後の逸話」を含む「川口雪篷」の記事については、「川口雪篷」の概要を参照ください。

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