薩土討幕の密約以降とは? わかりやすく解説

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薩土討幕の密約以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/14 13:51 UTC 版)

島村雅事」の記事における「薩土討幕の密約以降」の解説

慶応3年1867年5月江戸でオランダ式騎兵学を学んでいた乾退助は、山内容堂随行して土佐帰国途中京都で、中岡慎太郎からの決死の手受け取り感銘を受ける5月18日京都料亭「近安」で乾退助中岡慎太郎時勢について会談し、続く5月21日中岡仲介乾退助は、土佐藩谷干城毛利恭助と共に薩摩藩西郷吉之助吉井幸輔らと薩摩藩士・小松帯刀邸で密談行い薩土密約を結び、これを翌22日山内容堂報告し軍制改革を行う旨の同意とりつけ大坂武器買いつけて帰藩した。 乾退助土佐に戻るや兵制改革着手し、弓隊を廃して砲術隊を組織して藩論武力による勤王討幕にまとめ、さらに佐々木高行らの努力によって遂に藩庁動かして、雅事ら旧土勤王党員らを釈放させた。雅事は9月6日釈放されそのまま京都藩邸留守居役に任ぜられた。

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薩土討幕の密約以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/12 04:02 UTC 版)

吉本祐雄」の記事における「薩土討幕の密約以降」の解説

1867年6月慶応3年5月)、江戸でオランダ式騎兵学を学んでいた乾退助は、山内容堂随行して土佐に帰藩の途中京都で、中岡慎太郎からの決死覚悟の手紙を受け取り感銘を受ける。同6月20日旧暦5月18日京都料亭「近安」で乾退助中岡慎太郎時勢について深く談を交わし、続く同6月23日旧暦5月21日)、中岡仲介乾退助は、土佐藩谷干城毛利恭助らと、薩摩藩西郷吉之助吉井幸輔らが薩摩藩小松清廉邸で密談行い薩土討幕の密約を結び、これを翌6月24日旧暦5月22日)、山内容堂報告し軍制改革を行う旨の同意とりつけて大坂でアルミニー銃300挺などの武器買いつけて帰藩した。 乾退助土佐に戻るや兵制改革着手し旧来の北条流の弓隊を廃して洋式砲術隊を編成なさしめ、藩論瑞山遺志である武力による勤王討幕にまとめあげ、さらには佐々木高行らの奔走によって遂に藩庁動かしめ、獄中安岡正美島村雅事土佐勤王党志士らを釈放せしめた

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