葺石の出現と祖形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 10:53 UTC 版)
葺石墓は、弥生時代中期以降の西日本に点々とみられ、古墳時代へとつながっていく。とくに一般的に「定型化された大型前方後円墳」の最古の例と考えられている箸墓古墳および若干それに先立つとみられるホケノ山古墳(奈良県桜井市)では葺石をともなうことが確認されており、葺石は、出現期古墳の特徴を示す一要素となっている。なお、定型化以前の、いわゆる「纒向型」と称される墳墓では、纒向石塚古墳、纒向勝山古墳、東田大塚古墳いずれの場合でも埴輪・葺石はともなっていない。 葺石の祖形のひとつとして掲げられることの多いのは、弥生時代の山陰地方にみられる四隅突出型弥生墳丘墓にみられる貼石(はりいし)である。島根県出雲市の西谷墳墓群3号墓では、墳丘の裾部分を全周するかたちで貼石がなされている。また、岡山県総社市の楯築遺跡では墳丘に石列をめぐらせており、このような例は山陰・山陽で広くみられる。さらに、山陽地方においては、石垣状に積んで墳丘を画する例もみられる。
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