草創期の世界選手権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/02 07:13 UTC 版)
「フリーフライト (模型航空)」の記事における「草創期の世界選手権」の解説
第1回:1951年に、フランスのEureuxで開催。 まだ、専用の機体が開発されて居らず、仕様の定番も固まって居なかった。優勝機(ジェラード・シュミット:スイス)はディーゼル・エンジン付きのハイスラスト・中翼という異例の設計で、仕様数値も、重量28オンス(800g)、翼面積760平方インチ(49平方dm)と、規定ぎりぎりの最適値(500g、41.6平方dm)を大きく上回っていた。 ゆっくりとした上昇であったが滑空で稼いで、合計600秒(MAXは300秒×3回=900秒)出して優勝した。 第2回:1952年にスイスで開催。 世界選手権の開催が隔年になったのは大規模化・広域化した後年のことで、開始当時は毎年行なわれた。 優勝機(バリー・ホイーラー:英:代理飛行者シルビオ・ランフランキ)は、パイロン式のガス・フリーで、現在の形に近い定番のスタイル。当時は出力指向型の15エンジンが存在せず09(エルフィン1.49㏄ディーゼル)を搭載。これは異例で、次回以降は全て15級。、記録は209+298+300=807秒 代理飛行による優勝も今回のみで、代理飛行者はイギリスチームのマネジャー。他人の機体というハンディキャップは大きく、この例は極めて珍しい。 戦後間もない海外渡航が不便な時代には、機体だけを送り、現地のモデラーが代理飛行するシステムが設定され、機能していた。当時は、BOMルール(自作機による競技参加)が完全に励行され、飛行者よりも製作者の競技参加権が優先されていた。現在(2010)は、購入など他人の製作した機体による競技参加が許され、競技参加者は飛行者である。 第3回:1953年イギリス アメリカのK&B社が初めて15エンジンを発売。ガス・フリーの先進国であるアメリカは同エンジンで1953,54年と連覇。最初の競技用15エンジンの定番となった。 現在のようにアルコールとオイルだけの標準燃料ではなく、ニトロ系添加が自由な時代で、ハイ・ニトロ燃料が使われ出力向上に貢献した。 1953年の優勝機はデーブ・ニーランド(米)の「ベーパー・トレイル」機。完全楕円に近い平面形の主・尾翼でパイロン付きの標準的なガス・フリーで、ロケット的な急上昇をした。記録は300秒×3回の初パーフェクト・タイム。 参加機全体を見ると形式は多彩であり、設計方針がまとまっていなかった。2位の昨年の優勝機と同じエンジン(1.5ccディーゼル)の小型機、ノルディック・グライダーのような薄翼を使ったハイ・スラストの前垂直翼付きのオーストリア機、アメリカの肩翼のハイ・スラスト機などが見られた。
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