じょうもん‐どき【縄文土器】
縄文土器 (じょうもんどき)
縄文土器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 01:25 UTC 版)
縄文土器(じょうもんどき)は、日本の石器時代(縄文時代)の土器の呼称[1]。現在では滅多に使われていないが縄紋土器という表記もある[2]。
注釈
- ^ 中国や東アジアにも表面に縄を押しつけた痕跡のある土器があるが、それらは叩き締めという技法で、縄を叩く板・棒に巻き付けられており、その痕跡であり、日本の縄文・弥生土器とは異なる。
- ^ この画像の土器は、「新潟県馬高遺跡出土品」として重要文化財に指定されているものとは別個体で、「伝馬高出土」として東京国立博物館に所蔵されているものである(列品番号J - 39036)。
- ^ 発見されている無文土器は全て小破片である。それらの少破片を元に器形を復元想像してみると、縦断面は平底から胴部にかけて外側に膨らみ、口縁部にかけては直立する鉢形か深鉢型であろう。神子柴系石器群を伴う。年代は大平山元I遺跡の土器に付着した炭化物などを試料に行ったAMSC14測定年代が12680±140 - 13780±170年BPで、もっと古い珊瑚による暦年較正値は16520calBPである。
- ^ 数点の小破片[8]。
- ^ 豆粒文土器は長い楕円形の粘土粒を口縁部で縦列か斜列に等間隔に、胴部上半分では横列に貼り付けている。隆起線文と組み合わせて文様がつけられ場合と隆起線文だけで文様を構成する場合がある。復元品では器形丸底の深鉢土器。豆粒文土器と隆起線文土器の福井洞穴のβ線法C14測定年代は12400±350 - 12700±500年BP。
- ^ 隆線文土器とも呼ぶ。豆粒文土器とともに福井洞穴、泉福寺洞窟から出土。
- ^ 福井洞穴や泉福寺洞穴から出土。爪形文土器が単独で発見されている場合は東北地方北部、北海道帯広市まで分布する。その数は必ずしも多くない。年代は群馬県西鹿田中島遺跡のC14測定では11180±40BPである。器形は深鉢で、口縁部がやや内側に膨らみ胴部が大きく外側に膨らみ底部が丸底や口縁部が外側に膨らみ乳房状尖底などがある。
- ^ 押圧縄文、絡条体圧痕文、回転縄文を施した土器であり、これらの縄文を施した時期に土器を分類することができる。近畿地方以東の本州東部に分布する。年代は櫛引遺跡」のC14測定では10030±50年BPである。
出典
- ^ a b c d e f ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『縄文土器』 - コトバンク
- ^ 里見 絢子 (2015). “「縄紋」から「縄文」への転換の実相”. 岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要 39: 213-232.
- ^ 狭義、広義の区分は、具体的には、縄文時代晩期の後半BC950年頃、北九州で稲作が始まり、形式は縄文土器の形式だが、時代としては水田稲作が始まるゆえ、弥生時代早期とされ、今では縄文式でも、弥生土器とされる。この意味で、狭義の縄文土器と広義の縄文土器は異なる。縄文時代の年代は、放射性炭素年代測定法によると約1万6000年前に始まり、北部九州は2900年前(炭素14年代法、それに従う都出、炭素14を認めない学者は2500年前)、東北は約2400年前までである。この縄文晩期と縄文早期が重なっている。
- ^ もともと日本各地で出土する縄目文様(土器を作る際に粘土が柔らかいうちに縄を押し付けてつくられた文様)が特徴的な、石器時代の土器を研究者たちは(とりあえず)縄文土器と呼んだ。そして(考古学や歴史学の世界では「青銅器時代」「鉄器時代」のように出土する道具の中でも特に特徴的な道具の名称を冠するかたちで『時代』に学術的名称をつけるということが行われ、それにならって)日本の石器時代は「縄文時代」と呼ばれるようになった。
- ^ 炭素14年代法に対する異論は、具体的には。縄文晩期、弥生早期をはじめ、古墳時代の始まりについて、考古学的証拠(年代のわかっている鏡など)と比較して実年代より古く出ると言うものである。
- ^ 炭素14年大法の測定では、韓国の欣岩里((きんがんり)遺跡の時代と、縄文晩期が重なる事が示されている、松菊里(しょうきくり)遺跡に先行している。欣岩里も青銅器時代だが畑作。水田稲作については、炭素16年代法ではほぼ同時期である。ただし、考古学会では、考古学資料から、韓国のほうがわずかに早いとされる。
- ^ 大久保喬樹 2008, p. 221-233.
- ^ a b 石川日出志 2010, p. 26.
- ^ 谷口康浩 (2004)「極東における土器出現の年代 と初期の用途」『第17回名古屋大学タンデトロン加速器質量分析計シンポジウム 平成16(2004)年度報告』 名古屋大学加速器質量分析計業績報告書 (16), 34-53, 2005-03
- ^ 『愛媛県の歴史』, p. 16, 寺内浩「愛媛のあけぼの」.
- ^ 縄紋陶鬲(西周)
- ^ 細縄紋圜底陶釜
- ^ 縄紋紅陶圏足碗
- ^ 縄紋紅陶筒瓦
- ^ 縄紋鼎
- ^ 香港印紋陶紋飾
縄文土器
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「日本の発明・発見の一覧」の記事における「縄文土器」の解説
縄文土器は、日本の縄文時代に作られた古代の土器の一種である。縄文とは日本語で「縄の文様」を意味し、粘土に押し込まれた文様を表している。縄文時代に古代日本で作られた土器は、一般的に日本最古の陶器とされています。現代の九州の北西海岸にある洞窟で発見された土器の断片は、放射性物質による年代測定試験で紀元前12,700年にまでさかのぼるとされている。しかし、曖昧さと、異なる年代測定技術に基づいて異なる日付を主張する複数の情報源のため、縄文土器がどのくらい前に作られたのかを確かめることは難しい。一部の情報源では、紀元前14世紀にまで遡る考古学的な発見があったと主張している。
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「縄文土器」の例文・使い方・用例・文例
- 入り組み文という,縄文土器などの文様
- 縄文土器という,縄の紋様を持つ縄文時代の土器
- 十(とお)日(か)町(まち)市(し)博物館の国宝の縄文土器が,地震で倒れて壊れてしまった。
- 4月10日発行のネイチャー誌電子版の論文で,研究者らが,1万4000年前の縄文土器片に付着していた焦げかすは魚を煮炊きしたことによってできたものだとわかったと発表した。
- 研究チームのメンバーは,「縄文土器はドングリの煮炊きに使われていたと考えていた。この土器が実際は魚の調理に使われていたことがわかって驚いた。」と語った。
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