紫電11型の参戦とは? わかりやすく解説

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紫電11型の参戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 00:29 UTC 版)

紫電改」の記事における「紫電11型の参戦」の解説

紫電は、第一航空艦隊新編成される10航空軍のうち4個(341空343空345空、361空)が紫電装備予定するほどの期待集めたが、1944年昭和19年1月紫電優先配備することが決まっていた第341海軍航空隊でさえ、零戦との交替遅々として進まず7月時点でも編隊飛行訓練九三式中間練習機行っていた。紫電生産は遅れ、343空零戦戦い345空、361空は紫電供給もなく解隊された。 1944年昭和19年8月から9月にかけて341空台湾高雄進出し10月にはウィリアム・ハルゼー提督率い第38任務部隊迎撃した。10月12日紫電31機と米軍機60機が交戦し米軍機撃墜10紫電14喪失という初陣であった10月15日まで台湾沖航空戦戦った11月341空201空フィリピン進出してレイテ沖海戦参加する紫電米軍新鋭機との空中戦強行偵察、米魚雷艇攻撃など多様な任務投入され機材搭乗者双方疲弊により消耗していった。1945年昭和20年1月7日341空から特攻機直掩機ともに紫電編成され特攻隊出撃した。こうして341空は全装備紫電失いフィリピンから台湾へ撤退した宮崎勇は、零戦比べて機銃命中率高く高空性能降下速度優れていたが、鈍重空戦性能零戦より遥かに劣る「乗りにくい」戦闘機であった評する341空飛行隊長だった岩本邦雄や201空搭乗員だった笠井智一は、紫電F6Fには手も足も出なかったという。初め紫電見た笠井は、紫電F4F酷似していたと証言陸軍誤射撃墜され機体や、逆に米軍機誤認させて接近し撃墜した例もあるという。

※この「紫電11型の参戦」の解説は、「紫電改」の解説の一部です。
「紫電11型の参戦」を含む「紫電改」の記事については、「紫電改」の概要を参照ください。

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