紙本著色遊行上人絵とは? わかりやすく解説

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紙本著色遊行上人絵〈伝狩野宗秀筆/〉

主名称: 紙本著色遊行上人絵〈伝狩野宗秀筆/〉
指定番号 1893
枝番 00
指定年月日 1990.06.29(平成2.06.29)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 絵画
ト書 各巻末に文禄三年七月最上義光寄進寛永八年最上義俊寄進の記がある
員数 10巻
時代区分 桃山
年代 1594
検索年代
解説文:  時宗【じしゆう】の開祖一遍智真【いつぺんちしん】と第二他阿真教【たあしんきよう】の伝記を描く、いわゆる宗俊本【そうしゆんぼん】系統絵巻である。宗俊本の原本伝存せず、その写本のうち四件がすでに重要文化財指定されているが、本図はこれらと転写系統異にし、神奈川県清浄光寺しようじようこうじ】旧蔵一本藤沢道場縁起明治四十四焼失)を写したのである
 藤沢道場本の写真、および狩野晴川院かのうせいせんいん一門によるその模本比較すれば本図は各場面横長に引き伸ばし構図多く、また樹木形態筆致動勢増し原本にない人物加えられ人物の顔貌狩野風が強く衣裳色彩文様がより華やかなものに変わっているなど、転写本とはいいながら時代好尚筆者個性反映した闊達な描写に成ることが指摘できる
 各巻奥書は「文禄三年」から「光明寺【こうみようじ】」まで同筆とみられ、文章形式からみてもおそらく寛永八年一六三一最上義俊【もかみよしとし】(義光【よしあき】の孫)再寄進の際の寄進状をもとに、光明寺によって転写されたものと推測される。「筆者狩野法眼ほうげん】」の記事と「元秀【けんしゆう】」印もその折加えられたのであろう。ただし、『光明寺文書によれば文禄三年一五九四)正月最上義光もがみよしあき】は光明寺寺領安堵し、同五月、同寺に禁制下すなど、この時期両者密接な関係が知られるので、文禄三年七月七日に義光が本図光明寺寄進したという奥書内容は、信ずるに足るかと思われる。「元秀」印は狩野宗秀【かのうそうしゆう】(一五五一一六〇一)とその子甚之丞【じんのじよう】が用いた印であるが、法眼に任ぜられているのは宗秀だけであり、画風考え合わせ本図筆者は宗秀に比定することができよう
 焼失した藤沢道場本の現存最古写本として貴重であるとともに狩野永徳かのうえいとく】を継ぐ桃山時代作家狩野宗秀遺作としても有力視すべき作品である。



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