第65代継承問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/30 16:56 UTC 版)
詳細は「zh:嗣汉张天师世系图」および「en:List of Celestial Masters」を参照 国民党との結びつきが強かった第63代の張恩溥(中国語版)は台湾に亡命し、1969年に台北市で没した。張恩溥の長男である張允賢は1954年に既に死去しており、中国本土に残留した次男の張允康も消息不明となっていたため、第35代張可大より続く男系男子の嫡流の系統は一旦ここで断絶してしまった。次代の張天師は「男系男子の世襲」と定められていたため、1971年までは故人である張恩溥がそのまま在位という形になっており、同年に張恩溥の堂姪である張源先(中国語版)(張恩溥の父の第62代張元旭の弟の張元曙の孫)が第64代天師に就任した。張源先は元々は中華民国陸軍の軍人であったが、1960年代より表面化した張恩溥の後継問題を受けて、張恩溥より直接の指導を受けて正一教の教義を修養、張恩溥の死後も数年間修行を重ねた末に軍を退役して第64代へ就任した経緯があり、系譜上は第61代の張仁晸から連なる傍流の男系男子として、男系相続の伝統が辛うじて維持されていた。 第64代の張源先は2008年10月17日に男系男子を残さないまま死去したが、彼が張天師に就任した段階で「男系男子の世襲」という規定が停止され、襲名条件が「男系子孫である事」と緩和されていた為、皮肉にも第65代張天師選出にあたり大きな問題が生じた。「張天師の男系子孫」を称する複数の人物が張源先の死の前後に相次いで当代継承を主張し、当代の張天師が複数乱立する事態を招いたのである。先代の張恩溥が中国本土から台湾へ落ち延びた関係で、張恩溥自身の複数の子女を始めとする親戚縁者が中国本土側に散在していた事も、この継承問題を単なる一教派内の争いを越えた、両岸問題を内包する複雑怪奇なものとした。 2017年現在、公式の第65代は2009年6月10日に中國嗣漢張天師府道教會の設立と同時に張天師に就任した第62代張元旭の男系曾孫の張意将であるが、張源先が生前の2008年8月2日には第63代張恩溥の庶子であると主張する張美良(中国語版)が、張源先の第64代就任自体が無効であるとして中国本土の龍虎山にて「第64代」張天師就任式を強行しており、2009年5月11日には台湾南投市にて中國嗣漢道教總會の支援を受けた張道禎(中国語版)が「第64代」張天師就任式を行った。張道禎は1966年生まれで第32代張守真の男系子孫であると主張しており、張恩溥の実子は張允賢一人で現在消息不明とされる次男の張允康とは血縁関係がない事。張恩溥の死去の時点では継承序列上は第35代以降の系統の傍流で第61代の曾孫である張源先よりも、第32代直系の男系子孫である自分の方が上であったことから、張源先は飽くまでも自身が名乗り出るまでの「第64代張天師"代理"」に過ぎなかったとまで主張している。ほかにも男系女子としての長子世襲を主張し、中國正一道教總會が主催する2011年10月の張源先3回忌記念式典にて第65代就任を発表した張源先の長女の張懿鳳、第58代張起隆の男系子孫と称する張捷翔が第65代継承を称しており、台湾在住者だけでも少なくとも上記5名の張天師が併立している。 更には中国本土でも張恩溥の次女の子であり第12期全人代広西地区代表(中国語版)、中国道教協会現副会長でもある張金涛(中国語版)。第62代の男系曾孫であり第11期全人代天津地区代表(中国語版)を務めていた中国道教協会元副会長の張継禹(中国語版)、第62代の男系曾孫で北京在住の張貴華らまでが第65代継承を主張しており、中国本土も含めると少なくとも8人の張天師が存在する異常事態となっている。そして、正統第65代とされる張意將を中心に各対立張天師本人及びその支援者が、互いに家系図や清朝及び大日本帝國時代の戸籍簿などを持ち出してまで自らの正当性の主張を繰り広げる有様で、張天師を最高指導者とする正一教の教勢は文字通り四分五裂した状態のまま現在に至っている。
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