第1次成田デモ事件とは? わかりやすく解説

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第1次成田デモ事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 06:01 UTC 版)

成田デモ事件」の記事における「第1次成田デモ事件」の解説

1968年2月26日三里塚芝山連合空港反対同盟・三派全学連砂川基地拡張反対同盟が、成田市役所下にある成田市グランド(現・栗山近隣公園)で「三里塚空港実力粉砕砂川基地拡張阻止現地2.26総決起集会」を共催。 「成田第二羽田にせよ」と公言し約1,000人が参加した全学連は、午後3時半、集会終えてデモ始めた反対同盟追い抜いて市役所併設されている新東京国際空港公団分室への突入図りプラカードの板を外したゲバ棒工事用の石を武器に、公団分室を守る千葉県警機動隊衝突した学生らの攻勢熾烈極め一時学生らにとりつかれた指揮車にいた連隊指揮官成田警察署長が指揮棒応戦警備側は716人が重軽傷を負う。うち学生クロルピクリンを顔に投げつけられ警官1人一時危篤となり、喉の切開手術施され一命とりとめるその後この警官職務復帰を果たすが、喉には手術痕が残った)。 学生24人が凶器準備集合公務執行妨害逮捕されたほか、戸村一作反対同盟代表をはじめ155人の負傷者を出す。一方警察では中核派機関紙『前進』などから集会暴徒化する兆候つかんでいたものの、1月佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争で「過剰警備」を批判され反対派側もこれを利用して機動隊がくるからあのような騒動になったのだ」と喧伝したことから穏便な警備方針打ち出さざるをえず、また動員され機動隊3000人も主に普段交番勤務をしている警察官寄せ集めであったため前日急遽支給され大盾取り扱いにも不慣れで、大きな被害出した。 この混乱乗じて反対派農民空港公団分室侵入して盗み出した空港設計図面は、後に成田空港管制塔占拠事件での作戦立案用いられた。 頭に7針を縫う怪我負って成田赤十字病院入院した戸村代表は、ベッド悔し涙流しながら「眼の前学生たちが警官隊なぐられているので、とめようとした。押え左手警棒なぐられそのあと後ろからヘルメットはずされ頭を乱打された。警官隊が私と知っていて、ひどくなぐりかかったと思う。警察正体見たので、これから徹底した抵抗続ける。そのためには死んでもいい」と怒り顕にした。 なお、活字報道嫌っていたことで知られる当時内閣総理大臣佐藤栄作は、「昨日成田空港デモは、学生対す批判の声多い。然し朝日新聞)は相不変学生より。何としても朝日征伐にかからねばなるまい」と翌日日記綴っている。

※この「第1次成田デモ事件」の解説は、「成田デモ事件」の解説の一部です。
「第1次成田デモ事件」を含む「成田デモ事件」の記事については、「成田デモ事件」の概要を参照ください。

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