第1次戦時標準船
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 08:35 UTC 版)
1941年から建造が開始されているが、戦前に計画された平時標準船型の設計を基にしているため簡略化の度合いが小さく、民間船としての経済性など戦後も使用することを考えていたため、建造期間が長く生産性に劣っていた。185隻が建造されたが大半を喪失しており、戦後に残っていたのは11隻のみであった。 ※以下、諸元は総トン数・機関・航海速力・試運転速力の順(他の節も同様) 1A型(6,400トン、三連成レシプロor複二連成レシプロ、12.0ノット、15.0ノット) 南方と本土との間の輸送用として川南工業香焼島造船所で設計され、8隻が建造された。搭載機関は船によって異なる。後期船3隻は中間2A型と呼ばれ、建造日数短縮のために缶数が減り、船首底部が角ばっている。5tデリックを12基、30tデリックを1基搭載した。 1B型(4,500トン、蒸気タービン、11.5ノット、14.0ノット) 本土と大陸との間の輸送用として浦賀船渠で設計され、16隻が建造された。5tデリックを10基、30tデリックを1基搭載した。 1C型(2,700トン、三連成レシプロ、11.0ノット、14.0ノット) 1B型と同じ目的で日本鋼管鶴見造船所で設計され、34隻が建造された。5tデリックを8基、20tデリックを1基搭載した。 1D型(1,900トン、三連成レシプロ、10.0ノット、13.2ノット) 重量物の運搬を目的として日本鋼管鶴見造船所で設計され、22隻が建造された。5tデリックを6基のほか、30tデリックを1基搭載している。 1E型(830トン、ディーゼル、10.0ノット、12.4ノット) 内地沿岸、朝鮮沿岸、南方局地間での雑貨輸送用の海上トラックとして尼崎船渠で設計され、13隻が建造された。 1F型(490トン、ディーゼル、10.0ノット、12.0ノット) 1E型と同じ目的で三菱重工業下関造船所で設計され、21隻が建造された。 1K型(5,300トン、三連成レシプロ、10.5ノット、13.5ノット) 戦時標準鉱石船。大陸の大治鉱山と八幡製鉄所との間の鉄鉱石輸送を目的として三菱重工業神戸造船所で設計され、20隻が建造された。1隻が長船尾楼型で、その他は全て三島型である。日立造船因島製の後期5隻は非公式の第2次戦時標準船形態として建造された。 1TL型(10,000トン、蒸気タービン、16.5ノット、19.0ノット) 大型戦時標準油槽船。南方からの油輸送、艦隊随伴給油用として播磨造船所で設計され、海軍籍の針尾を含め、25隻が計画され、19隻が完成した。建造時期により船型が異なる。うち、特1TL型へ4隻が計画変更され、2隻が戦後に完成した。 1TM型(5,200トン、蒸気タービン、12.5ノット、15.5ノット) 中型戦時標準油槽船。南方からの油輸送を目的として三菱重工業横浜造船所で設計され、26隻が建造された。 1TS型(1,010トン、三連成レシプロ、10.0ノット、12.0ノット) 小型戦時標準油槽船。南方局地、内地沿岸での油輸送を目的として浪速船渠で設計され、5隻が建造された。
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