第1の哨戒 1943年10月 - 12月
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「デイス (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1943年10月 - 12月」の解説
10月20日、デイスは最初の哨戒で日本近海に向かった。11月7日、デイスは北緯34度14分 東経137度15分 / 北緯34.233度 東経137.250度 / 34.233; 137.250の地点でレーダーにより複数の目標を探知し、やがてそのうちの一つは6,800トン級輸送船のようだと推定された。デイスは最初の攻撃で魚雷を4本発射したが命中しなかった。次に第二の目標である6,800トン級輸送船に照準を合わせて魚雷を2本発射し、1本が命中した。照準を最初の目標と2隻の護衛艦に合わせた三度目の攻撃では魚雷を3本発射したものの、命中しなかった。デイスは護衛艦を上手くまいてその場から去った。11月11日には北緯33度29分 東経136度43分 / 北緯33.483度 東経136.717度 / 33.483; 136.717の地点で「駆逐艦」を発見し、魚雷を3本発射したが成功しなかった。当時、デイスが向かった海域を「空母翔鶴が通過する」という情報があり、デイスを含めた所在の潜水艦に翔鶴を仕留めるよう指令が出ていた。ところが、エンライト艦長は自分の直感を抑えて規則に従った結果、結果的に翔鶴を逃す結果となった。実際に11月15日に北緯33度55分 東経140度32分 / 北緯33.917度 東経140.533度 / 33.917; 140.533の地点で件の翔鶴と3隻の駆逐艦を発見したものの、ただ「発見した」というだけに留まった。11月19日午後、デイスは北緯34度13分 東経136度33分 / 北緯34.217度 東経136.550度 / 34.217; 136.550の地点で輸送船、タンカー、哨戒艇を相次いで発見。しかし、哨戒艇の先制攻撃を受け、14発に及ぶ爆雷攻撃で艦尾発射管室のバルブが損傷するなどの被害を受けた。12月11日、デイスは49日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 意気消沈したままエンライト艦長は司令部に報告のため出頭した。報告は「自分は艦もスタッフも担当海域も、あらゆる優れたものに恵まれた」で始まり、「今回の哨戒任務が不作だったのは自分の責任ですから」と、自ら自分をデスクワークに廻してくれるよう要請、受理されエンライト艦長は12月28日に潜水艦救護隊隊長に転じた。後任の艦長にはブラッデン・D・クラゲット少佐(アナポリス1935年組)が就いた。
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