第1の哨戒 1943年10月 - 12月とは? わかりやすく解説

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第1の哨戒 1943年10月 - 12月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/20 18:32 UTC 版)

デイス (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1943年10月 - 12月」の解説

10月20日デイス最初哨戒日本近海向かった11月7日デイス北緯3414東経13715分 / 北緯34.233度 東経137.250度 / 34.233; 137.250の地点レーダーにより複数目標探知し、やがてそのうち一つは6,800トン輸送船のようだ推定された。デイス最初の攻撃魚雷を4本発射した命中しなかった。次に第二目標である6,800トン輸送船照準合わせて魚雷を2本発射し、1本が命中した照準最初目標と2隻の護衛艦合わせた三度目攻撃では魚雷3本発射したものの、命中しなかった。デイス護衛艦上手くまいてその場から去った11月11日には北緯3329東経13643分 / 北緯33.483度 東経136.717度 / 33.483; 136.717の地点で「駆逐艦」を発見し魚雷3本発射した成功しなかった。当時デイス向かった海域を「空母翔鶴通過する」という情報があり、デイス含めた所在潜水艦翔鶴仕留めるよう指令出ていた。ところが、エンライト艦長自分直感抑えて規則従った結果結果的に翔鶴逃す結果となった実際に11月15日北緯3355東経140度32分 / 北緯33.917度 東経140.533度 / 33.917; 140.533の地点件の翔鶴と3隻の駆逐艦発見したものの、ただ「発見した」というだけに留まった。11月19日午後デイス北緯3413東経13633分 / 北緯34.217度 東経136.550度 / 34.217; 136.550の地点輸送船タンカー哨戒艇相次いで発見。しかし、哨戒艇先制攻撃を受け、14発に及ぶ爆雷攻撃艦尾発射管室のバルブ損傷するなどの被害受けた12月11日デイス49日間の行動終えてミッドウェー島帰投した。 意気消沈したままエンライト艦長司令部報告のため出頭した報告は「自分は艦もスタッフ担当海域も、あらゆる優れたものに恵まれた」で始まり、「今回哨戒任務不作だったのは自分責任ですから」と、自ら自分デスクワーク廻してくれるよう要請受理されエンライト艦長12月28日潜水艦救護隊長転じた後任艦長にはブラッデン・D・クラゲット少佐アナポリス1935年組)が就いた

※この「第1の哨戒 1943年10月 - 12月」の解説は、「デイス (潜水艦)」の解説の一部です。
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