第1の哨戒 1942年8月 - 10月
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「ワフー (SS-238)」の記事における「第1の哨戒 1942年8月 - 10月」の解説
8月23日、ワフーは最初の哨戒でトラック島近海に向かった。トラック、ナモヌウィト(英語版)両環礁近海で哨戒し、9月6日明け方には、トラックの西北西海域で最初の獲物となる2,400トン級タンカーを発見し、魚雷を3本発射したが全て外れ、逆に反撃を受けたため退散した。ワフーはトラック諸島周辺で9月20日までパトロールすることに決めた。その9月20日の夜、ワフーは.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯07度43分 東経150度36分 / 北緯7.717度 東経150.600度 / 7.717; 150.600の地点で6,500トン級輸送船と護衛艦を発見し、輸送船に向けて魚雷を3本発射。次に観測してみると、輸送船は左に傾いているように見え、続いて3回の爆発音が聞こえた。護衛艦が向かってきたが、スコールの中に逃げ込み無事であった。ワフーは6,500トン級輸送船の撃沈を報じたが、戦後のJANAC(英語版)の調査の結果、この戦果は認定されなかった。ワフーは飛行機や監視艇に遭遇した後、ナモヌウィト環礁南西端のウールール島近海に移動。数隻の漁船の他、2つの大物を発見したが逃すこととなった。1つ目は9月30日に北緯07度58分 東経151度02分 / 北緯7.967度 東経151.033度 / 7.967; 151.033の地点で発見した水上機(特殊潜航艇)母艦千代田と思しき大型艦で、単独航行中のところを発見したものの、ワフーの射程圏内に入ってこなかった。もう一つは10月5日に、北緯09度15分 東経149度00分 / 北緯9.250度 東経149.000度 / 9.250; 149.000の地点で2隻の天霧型駆逐艦に護衛された龍驤型空母と思しき大型艦を発見したが、これまた射程圏外を航行し去っていった。ワフーは10月7日に哨戒海域を後にして真珠湾に針路を向けた。10月17日、ワフーは55日間の行動を終えて真珠湾に帰投。翌日から、ワフーは潜水母艦スペリー(英語版) (USS Sperry, AS-12) に横付けし、砲兵装を4インチ砲と20ミリ機銃に換装し、この工事は11月2日まで行われ、工事後の3日間は慣熟訓練にあてられた。
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