第二次アフガン戦争とは? わかりやすく解説

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第二次アフガン戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/03 08:37 UTC 版)

シール・アリー・ハーン」の記事における「第二次アフガン戦争」の解説

1868年から1873年にかけ、ブハラヒヴァコーカンドの三ハーン国がロシア征服されると、シール・アリーはイギリスとの友好関係強化しようとする。しかし、イギリスからは満足な回答得られなかった。 1878年露土戦争勃発すると、カーブル反英宣伝行った英領インド当局はネヴィル・ボウルズ・チェンバレン(英語版)を団長とする使節団派遣しようとしたが、シール・アリーは入国拒否。これにより第二次アフガン戦争(1878年 - 1881年)が勃発した。 シール・アリーはイギリス軍敗れた。彼はカブール占領前日退位し、ヤアクーブ・ハーン(英語版)を摂政として残して、自らはバクトリア逃れロシア援助要請した拒絶される行動制限され帰国し1879年2月21日マザーリシャリーフ死去した。 ヤアクーブ・ハーンは、5月15日にガンダマク条約英語版)を結び、第二次アフガン戦争は終結した

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第二次アフガン戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 11:48 UTC 版)

アフガン戦争」の記事における「第二次アフガン戦争」の解説

詳細は「第二次アフガン戦争(英語版)」を参照 復位後、1855年イギリスとの間でペシャーワル条約結んで領土相互保全約し、北と西で現在のアフガニスタン領域へと支配広げたドースト・ムハンマド死後兄弟たち倒して後継者となった息子シール・アリー・ハーンイギリスとの関係軽視し、またロシア1868年ブハラ・アミール国1873年ヒヴァ・ハン国保護国とし、1876年にはコーカンド・ハン国併合して中央アジアへと直接進出する情勢イギリス大い刺激した1878年7月ロシアアフガニスタン使節を送ると、シール・アリーは拒絶しようとするがカーブルへの到着許してしまい、これに対してイギリスインド副王である第2代リットン伯爵ロバート・ブルワー=リットン送った使節国境拒絶される事件起こったロシアアフガニスタン進出恐れイギリスベンジャミン・ディズレーリ内閣強硬姿勢をとることに決し、再びアフガニスタン宣戦布告した1878年11月イギリス軍英印軍)は、ペシャーワル方面ブラウン将軍指揮下の1万6千人火砲48門)、クラム方面ロバーツ将軍指揮下の6千人火砲18門)、カンダハール方面スチュアート将軍指揮下の1万3千人火砲32門)の3手に分かれてアフガニスタンへ侵攻した戦闘は、イギリス軍優勢のうちに進みカーブルなどの要地占領した。 やがてシール・アリーは北部マザーリシャリーフ逃れて同地死去し後継者ヤアクーブ・ハーン(英語版)はイギリス屈して1879年5月15日にガンダマク条約英語版)を結んで東南部割譲イギリス外交権委譲して保護国となることを認めたが、依然としてアフガニスタン側の反抗強くイギリス軍苦戦強いられ、ヤアクーブ・ハーンも退位しインドへと亡命した1880年7月27日カンダハール郊外のマイワンドの戦い英語版)で、ヤアクーブ兄弟アイユーブ・ハーン大敗喫するなど、イギリス軍大きな損害を受けながらも、9月1日カンダハール戦い英語版)でアイユーブ・ハーン撃破すると、1881年までアフガニスタンへ駐留続けた結局イギリスは、混乱の中で亡命先中央アジアから帰還していた王族一員アブドゥッラフマーン・ハーン台頭してくると彼を交渉相手として妥協することにし、外交権イギリス委ねて保護国となることを認めさせ、イギリス面目当初戦闘目的を果たす見返り彼に庇護与え自立支配を許す条件撤退することとなった国境結局ガンダマク条約のものが踏襲され、東南国境現在のアフガニスタン・パキスタン国境線確定することになるが、これによってパシュトゥーン人アフガン人)の居住地がふたつの国家分断された。 シール・アリー ヤアクーブ・ハーン アイユーブ・ハーン

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