コーカンド‐ハンこく【コーカンドハン国】
コーカンド・ハン国
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コーカンド・ハン国(ウズベク語 : Qo'qon xonligi)は、18世紀後半から19世紀前半にかけて、フェルガナ盆地を中心に中央アジアに栄えたテュルク系イスラム王朝。現ウズベキスタン領フェルガナ州西部のコーカンド(ホーカンド)を都としてカザフスタン、キルギス、タジキスタンの一部に及ぶ西トルキスタンの東南部に君臨する強国に成長、一時は清朝の支配する東トルキスタンにまで勢力を伸ばしたが、内紛と周辺諸国の圧力から急速に衰え、ロシア帝国に併合されて滅んだ。
- ^ 中央ユーラシア史 2000, p. 310.
- ^ 中央ユーラシア史 2000, p. 311.
- ^ (中央ユーラシア史 2000, p. 310)「ビー」は、テュルク諸語で古くから首長の称号として用いられるベグのウズベク語形である。
- ^ 小松久男「コーカンド・ハーン国」『岩波イスラーム辞典』岩波書店、2002年、p. 366.
コーカンド・ハン国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 19:33 UTC 版)
18世紀後半からトルキスタンのフェルガナ盆地を中心にコーカンド・ハン国が台頭する。清とコーカンド・ハン国の間で、コーカンド商人に対するハン国の徴税権などを付与する条約が交わされていたが、清はコーカンド・ハン国の敵対行為(武装蜂起の扇動など)に対して、19世紀初頭に新疆でのコーカンド・ハン国商人の活動の規制をはじめる。
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