コーカンド・ハン国とは? わかりやすく解説

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コーカンド‐ハンこく【コーカンドハン国】


コーカンド・ハン国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/14 10:19 UTC 版)

コーカンド・ハン国ウズベク語 : Qo'qon xonligi)は、18世紀後半から19世紀前半にかけて、フェルガナ盆地を中心に中央アジアに栄えたテュルク系イスラム王朝。現ウズベキスタン領フェルガナ州西部のコーカンド(ホーカンド)を都としてカザフスタンキルギスタジキスタンの一部に及ぶ西トルキスタンの東南部に君臨する強国に成長、一時は清朝の支配する東トルキスタンにまで勢力を伸ばしたが、内紛と周辺諸国の圧力から急速に衰え、ロシア帝国に併合されて滅んだ。


  1. ^ 中央ユーラシア史 2000, p. 310.
  2. ^ 中央ユーラシア史 2000, p. 311.
  3. ^ (中央ユーラシア史 2000, p. 310)「ビー」は、テュルク諸語で古くから首長の称号として用いられるベグウズベク語形である。
  4. ^ 小松久男「コーカンド・ハーン国」『岩波イスラーム辞典』岩波書店、2002年、p. 366.



コーカンド・ハン国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 19:33 UTC 版)

新疆の歴史」の記事における「コーカンド・ハン国」の解説

18世紀後半からトルキスタンフェルガナ盆地中心にコーカンド・ハン国が台頭する。清とコーカンド・ハン国の間で、コーカンド商人対すハン国徴税などを付与する条約交わされていたが、清はコーカンド・ハン国の敵対行為武装蜂起扇動など)に対して19世紀初頭新疆でのコーカンド・ハン国商人活動規制をはじめる。

※この「コーカンド・ハン国」の解説は、「新疆の歴史」の解説の一部です。
「コーカンド・ハン国」を含む「新疆の歴史」の記事については、「新疆の歴史」の概要を参照ください。

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